衝撃的な始まりの歌詞
その中でも今回は「カッコいい」を最高に極めた、『カサブランカ・ダンディ』から、ジュリーのかっこよさの理由を探っていきたいと思います。
沢田研二はこの曲で、斜めにかぶったハット、白いシャツに白いジャケットを袖まくりして、手にはウイスキーの瓶という衣装で登場します。
さらにイントロが流れると、持っていた瓶の中身を口に含み、空高くブワッと吹き出します。しかし斜めにかぶったハットで、その表情はよく見えません。つかみから衝撃的なカッコよさを見せつけます。
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ききわけのない
女の頬を
一つ二つはりたおして
≪カサブランカ・ダンディ 歌詞より抜粋≫
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そして、最初の歌詞にもまた衝撃を受けます。
今の時代に、「女の頬を張り倒して」なんて歌ったら、世間からなんと言われるかわかりません。この歌詞が批判されなかったのは、沢田研二自身がこの歌を歌った当時、すでにこの歌詞がサマになる存在だったというところが大きいでしょう。
壊れかけの関係性
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うれしい頃の
ピアノのメロディ
苦しい顔で
きかないふりして
男と女は流れのままに
パントマイムを
演じていたよ
≪カサブランカ・ダンディ 歌詞より抜粋≫
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ピアノのメロディを聞かないふりをしてパントマイムを演じていた…パントマイムとは、身ぶりや表情で表現する無言劇で、まるでないものがあるかのように見えるように見せる芸が一般的です。
2人にとって明るい思い出のメロディが流れて来ても、パントマイムを演じるかのようにことばを交わさず、まるで聞こえていないかのようにやり過ごそうとしている様子を、このひとことで表しています。
演じていたという一言から、もう興味がなく無視を決め込んでいたのではなく、無視をする演技をしなければ自分が苦しくなってしまう、という感情が読み取れますね。
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ボギー ボギー
あんたの時代はよかった
男がピカピカの
気障でいられた
≪カサブランカ・ダンディ 歌詞より抜粋≫
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このフレーズが、サビにあたって繰り返されています。ボギーとは、1940-1950年代を象徴するハンフリー・ボガートという名優の愛称です。曲名の由来にもなっている『カサブランカ』という映画の主演を務めました。
若い人は、タイトルも俳優の名前も初めて聴いたという方が多いかもしれませんが、この映画で有名になった「君の瞳に乾杯」というフレーズならどこかで耳にしたことがあるでしょう。
ハンフリー・ボガートは数々の名言を映画の中で残しています。しかしそのどれもが非常に気障で、ともすれば「クサい」とも言われかねないほどのレベル。
しかし当時はそれが「クサい」とは言われることはなく、人々の心を熱中させた時代でした。気障なことを言ってもカッコよくいられた時代、ということです。
では、ジュリーのいた時代はどんな時代で、ボギーの時代のどこにそこまであこがれるのでしょう?それは、すべての歌詞を見ることで明らかになって来ます。
すれ違う2人の想い
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しゃべりが過ぎる
女の口を
さめたキスで
ふさぎながら
背中のジッパー
つまんでおろす
他に何もすることはない
≪カサブランカ・ダンディ 歌詞より抜粋≫
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この部分で、沢田研二はスタンドマイクに指をなぞらせ、ジッパーを上から下に外すジェスチャーをする。
このしぐさとこの艶かしい歌詞、女性だけでなく男性でもドキッとしてしまうようなパフォーマンスです。これは彼自身に相当の色っぽさがあるからこそできる芸当です。
しかし、ここで伝えたいのはこの裏に隠れた感情です。続く歌詞を見てみましょう。
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想い出ばかり
積み重ねても
明日を生きる
夢にはならない
男と女は承知の上で
つらい芝居を
つづけていたよ
≪カサブランカ・ダンディ 歌詞より抜粋≫
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もう、二人の仲は修復がかなり難しいところに来てしまった、苦しい恋だということ、そしてそれをどちらもわかっているということが読み取れます。
「うれしい頃」に比べると、もう取り返しのつかないところまで来てしまった。でもまだ別れるには踏ん切りがつかないという感情が読み取れます。
「さめたキスでふさぎながら」という歌詞は、愛情が「冷めて」しまったのではありません。男は苦しいから見ないふりをしているのにも関わらず、女はききわけのない態度をとったり、現実を見させるようなことを言ったのでしょう。
その女の感情に対して、「うるさい」「黙ってろ」という、冷めた態度でキスをしたのです。なぜなら、女の感情を受け入れてしまえば、自分たちの関係が破綻しかけていることに気づいてしまうから。
やはり男は、本当は女を愛しているのです。
しかし、愛しているのにどうやったら、二人で幸せになれるのかわからない。幸せになるための愛し方がわからない、愛しているけど、もう楽しい頃には帰れない苦しみから、自分を守るかのように相手を攻撃しているのです。
彼が本当に恐れていることが来ないように、来るのを先のばしにするために。
不器用で繊細な「カッコ悪い」男の話
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ボギー ボギー
あんたの時代はよかった
男のやせがまん
粋に見えたよ
≪カサブランカ・ダンディ 歌詞より抜粋≫
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ここではもう、「やせがまん」だとはっきり言ってしまっています。ボギーのいた時代には、そのやせがまんでさえもカッコよく見えていたのに、どうして今自分はこんなに苦しでいて、なぜこんなにカッコ悪いんだ、という悲痛な叫びが聞こえてきます。
もう、実はこの歌がいかに切ない歌詞だったかということがお分かりかと思います。ぱっと最初歌詞を見た感じだとバイオレンスな感じもありインパクトも十分なのですが、そこは核心ではありません。
本当に伝えたいのは「ボギーのようにクサくてどストレートな愛のことばを言ってもサマになる男なら、自分もこんな形ではないやりかたで女を愛していけたかもしれないのに」という不器用な男の深い悲しみなのです。
時代のせいにしてはいますが、本当はボギーのようにカッコつけながらもまっすぐに人を愛せる人にあこがれていたのだと思います。これは、まるで不器用で繊細な、「カッコ悪い」男の話なんです。
そのカッコ悪くて、情けない男を、ジュリーは完全に演じきっていました。たった一人が作り出す彼の世界観に、テレビを通して人々は釘付けになりました。
彼は、最高のアイドルであり歌手でありパフォーマーでもありましたが、何よりも魅せることができる「スーパースター」だったのです。
そんな彼を「カッコいい」と言わずして、だれがカッコいいというのでしょうか。あれから40年。今だからこそ声を大にして言えるのは、「ジュリー、あなたの時代はよかった」ということではないでしょうか。
TEXT サニー