一度の活動休止期間を経て、2017年はデビュー10周年となる記念の年だ。9月には武道館も決定している。が、その武道館を目前に2度目の活動休止宣言を発表。しかもかなり本格的にバンド活動を止めてしまうように見受けられる。
そんな背景を持つバンド、SuGが打ち出した最後の(?)楽曲、『AGAKU』をひもといてみよう。
SuGが打ち出した最後の『AGAKU』
ほら STEP STEP STEP
どうせ倒れるなら前へ 病的な挑戦欲求
飽くなき魂が魅せた物語は
喜劇かそれとも悲劇か
「どうせ倒れるなら前へ」という言葉から、バンドコンセプトでもあるヘヴィー・ポジティヴ・ロックの精神を読み取ることができる。転んでもタダでは起き上がらないぜ!という不屈の精神力だ。ネガティヴなはずの行為をポジティヴに変換しようとするSuGらしい表現だろう。「病的な挑戦欲求」という歌詞では、バンド自らを「病的」だと自嘲気味に語っているが、そのくらい本気の挑戦だという意思も感じ取れる。
「飽くなき魂」とはおそらくバンドのことを指しており、バンドが今まで成し遂げてきたこれまでのことは、「喜劇かそれとも悲劇か」とリスナーに判断を委ねている。
活動休止という宣言は、バンドだけの問題にとどまらず、ファンに与える影響も計り知れないものだろう。SuGのはじき出した休止宣言は、ファンにとって毒なのか薬なのか。この宣言によってSuGの今までしてきたことはファンにどう映ってしまうのか。そんなことを問いかけているように見える。
それと同時に、自分達にとってSuGは喜劇だったのか悲劇だったのか、自問自答しているようにも受け取れるだろう。
SuGらしい「足掻き方」
タイトル『AGAKU』が示す通り、この曲は文字通りバンドの「足掻き」を表している。この足掻きはたんなる悪あがきにすぎないのか、それとも足掻くことで前に進める必要な行動なのか。今まで反骨・反撃。ときには恋愛をテーマに曲を作ってきたSuGにとって、この曲は最もSuGらしい「足掻き方」なのかもしれない。自分たちの活動を「足掻き」という単語に収めた、バンドのまとめのような一曲なのだ。
ぼくらは綱渡りだった 傷だらけだった そして未来もそうであれ
それがただの虚仮威しでも 間違いでも 真実にするために足掻くだけ
こんな歌詞を読むと、この曲は単純にバンドとしての「足掻き」だけを主眼にした曲ではないように見えてくる。「ぼくら」という単語に込められているのは、バンドとしての「ぼくら」だけでなく、ファンを含んだ「ぼくら」でもあり、もっと言えば曲を聴いたすべての人を含んだ「ぼくら」なのではないだろうか。
「未来もそうであれ」「真実にするために足掻くだけ」という言葉からは、ポジティヴなエールを受け取ることができるだろう。「綱渡り」「傷だらけ」という単語は誰にだって当てはまる。SuGというバンドがただの独りよがりで終わらないことを願うような、象徴するような歌詞だ。
たとえ女神に見放されても 口説き落として また惚れさせてやるからさ
およそ活動休止宣言をするバンドとは思えない歌詞だ。「本当なの?」「調子いいんじゃない?」「嘘くさいよね」という意見だって生み出しかねない。しかし同時に、「また惚れさせてやる」という言葉に力強さも感じる。
SuGをこのままで終わらせたくないという矛盾したバンドの心を表しているかのようだ。
『AGAKU』という曲は、SuGの本質を非常に正確に突きながら、最終手段にして代表曲となるような力強さを秘めている。
もっとこの先が見たくなるような、ある意味ファンにとっては残酷で、けれども希望の光ともなるヘヴィー・ポジティヴ・ロックなのだ。