1. ふんわりと読み解く『ホテル・カリフォルニア』の"1969年問題"

ふんわりと読み解く『ホテル・カリフォルニア』の"1969年問題"

以前、イーグルスの1976年の名曲『ホテル・カリフォルニア』について書きましたが、この曲の歌詞の中で最も議論を呼ぶ一節について触れてみたいと思います。

2017年12月3日

Column

quenjiro


この記事の目次
  1. ・1968年なら分かるんだけど
  2. ・1969年あたりと歌えばよかったのに
  3. ・自分の装置に縛られた囚人

1968年なら分かるんだけど


So I called up the Captain
“Please bring me my wine”
He said,“We haven't had that spirit here since nineteen sixty nine”
"それから俺は給仕長を呼んで
「俺のワインを持ってきて」と頼んだら
彼は「私どもでは1969年以来スピリットは在庫しておりません」と云った"


「1969年からスピリット(魂)は在庫しておりません(失っている)」の一節について、作詞者のドン・ヘンリーは、こんなふうに語っていました。

「その部分は社会政治的なメッセージだよ、くどくど説明したくないけど」

ということは、1969年に何か社会政治的に重要な出来事があったのかと調べてみますと、前年の1968年ほど印象的なトピックがありません。それほど1968年は政治的に衝撃的な年でした。

黒人公民権運動の活動家マーティン・ルーサー・キング牧師、それに民主党の大統領候補であったロバート・ケネディが、それぞれ暗殺されています。

そして、共和党候補のリチャード・ニクソンが大統領に就任しました。以来1976年に民主党候補のジミー・カーターが大統領に就任するまで、共和党政権が続いていたわけで、バリバリの民主党支持者のヘンリーにとっては面白くない時代だったでしょう。ちなみに1976年は「ホテル・カリフォルニア」が製作された、まさにその年です。

いずれにせよ、このように政治的に印象的な事件は明らかに1969年よりも1968年に起こっており、政治的なメッセージなのであれば「1968年から魂は失われている」と歌ったほうがリスナーには飲み込みやすいはずで、解釈を履き違えていると苦言を呈されても困ります。

1969年あたりと歌えばよかったのに

政治的解釈はいったん置いときましょう。1969年といえば、ウッドストックでの大規模なフリーコンサートがありました。このイベントは、これまでよくこの部分の解釈に持ち出されますので、ここでも検証してみましょう。

もしも、1969年がウッドストックを象徴する年だとしてドン・ヘンリーが用いたのであれば、彼がこのイベントをどんな風に捉えていたのかによって変わってきますが、そこに言及する発言は見つけることができませんでした。

一般的にはその歴史的評価は大きく二つに割れており、「ヒッピームーブメントが牽引したアメリカのロックの最後の輝き」と総括される一方、「肥大化しゆくロックビジネスの終わりの始まり」とみる向きもあります。

前者の意味合いで歌うのであれば、「ロック」の魂は「1969年まで残っていた」となるので、魂が失われたのは「1970年から」と歌うべきです。

後者であれば、「1969年から魂が失われた」といえますが、そもそも「カリフォルニアという名のホテル」を舞台にした歌で、ニューヨークで行われたウッドストックコンサートを持ち出すのはどうにも違和感を禁じえません。

加えていうなら、ヒッピームーブメントが盛んだったのはカリフォルニア州でも北のサンフランシスコで、南のロスアンジェルス出身のイーグルスにそれを連想させるイメージは希薄なのです。

2013年来日時のインタビューで、メンバーのジョー・ウォルシュがこう語っています。

「僕らは南カリフォルニアのバンドなんだ。世界を変えようとしたヒッピー・バンドというのはサンフランシスコあたり、北カリフォルニアのバンドなんだよ。またイーグルスはそれらのバンドより後から出てきた」

他にもいろいろ考えました。

例えばドン・ヘンリーがミュージシャンになるべくカリフォルニアにやって来たのは1970年。これも微妙に1969年と合わない。1969年を(アメリカが革新的だった)60年代の最後の年ととらえるとしても、それでもやはり1970年から魂が失われたと云うほうが自然です。

つまり1969年とは、政治やロックの歴史やバンドなど、それぞれにとって大きな出来事がその前後にあった年というぐらいしかできません。

「1969年"あたり"から魂が失われた」
とあいまいに歌ってくれれば、そのすべてを抱え込むことができるのですが。

自分の装置に縛られた囚人

しかし見つけました。1968(nineteen sixty eight)でも、1970(nineteen seventy)でもだめだった理由を。

"eight"や"seventy"では、前節の"wine"と韻が踏めないのです。

そして、1969年あたりから(since around 1969)ではだめだった理由は、"spirit since 1969"にaroundなど余計な語を入れてしまったら、spiritがwineを受けたアルコールの洒落にならないからです。

酒とは関係ないと発言していますが、文脈からしてダブルミーニングを狙っていなかったとは思えません。

ようするに論理性や整合性より詩的表現を優先したことで、wine と since と 1969 のどの語も他に置き換えがたい、いわば単語の"三すくみ"状態に陥ってしまい、その結果がこの一節の不可解さを生むことになったのではないでしょうか。

三番の歌詞に、そんな作詞者の苦悩とさえ読み取れるような一節があります。

And she said“We are all just prisoners here of our own device”
"彼女は云った、「私たちは皆んな自分の装置に縛られた囚人なのよ」と"


我々は自分の詩に縛られた囚人の言葉をまともにとらえてはいけないのです。ですので、ここはふんわりした解釈でかまわないといってしまいましょう。

あー、1969年から魂は失われているのかー、そういや俺もお前もアメリカもそれぐらいから変わってきたよねー、みたいな解釈でいいと思いまーす。

TEXT:quenjiro

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