容姿はもちろん、繊細でありながらも圧倒されるほどのギタープレイ、そしてハスキーなヴォイス、全てがかっこいい。
存在がロックンロールそのものだと言えるのではないか。「世界の終わり」という、誰しもが近くて遠く感じるタイトルに魅了された人もたくさんいただろう。
現在の私たちにとって“世界の終わり”というのはアーティスト名としてよく耳にする機会が多いこともあり、非常に馴染みがある言葉になった。
すっかり化学も発展し、平均寿命も80歳をこえた平和で便利な今の時代にでも“世界の終わり”はそこで待っているのだろうか。
THEE MICHELLE GUN ELEPHANTが伝えたかった本当の「世界の終わり」とはどのようなものなのだろう?
THEE MICHELLE GUN ELEPHANTの「世界の終わり
「悪いのは全部君だと思ってた
狂っているのは あんたなんだって 呟かれても
ぼんやりと空を 眺め回しては
聞こえてないふり」
THEE MICHELLE GUN ELEPHANTの曲がどこか幻想的な理由の1つとして視点が固定されていないというのがあるだろう。
未来を話している会話をきりとったような歌詞。リスナーは客観的に聴く自分にも「君」「あんた」「僕」のどれにでもなれる。
誰かに「狂っている」と言われても聞こえないふりをしていた。何が正解かも分からず、ひたすら時間が過ぎていく毎日だった。
どれだけ苦しいことがあっても上には常に空があって。眺め回すほど、空は永遠を物語るかのように続いていた。
一生このまま同じ状況が続いていくかのように。
世界の終わりはあなたのすぐ近くで待っている
「世界の終わりはそこで待ってると思い出したよに 君は笑い出す
赤みのかかった 月が昇るとき
それで最後だと 僕は聞かされる」
“世界の終わりはそこで待ってる”と思い出したように君はわらいだす。一生続くと思っていることも以外とすぐに終ったりするものだ。
「世界の終わり=死」というイメージだけではなく「世界=今見えてるもの全て」とも捉えることができるのではないだろうか。
一生続いていくかのように感じる現状なんて良くも悪くもすぐに変わるという意味にも聞こえる。
少しずつそして確実に近づいてきている
「ちょっと緩やかに だいぶやわらかにかなり確実に 違ってゆくだろう
崩れてゆくのが わかってたんだろ
どこか変だなと 思ってたんだろ」
“聞こえていないふりや気づいていないふりをしていただけで、本当はどこか変だなと思っていたんだろ”と問いつめられているようだ。
いつの時代でも“世界の終わり”は気づかれないように近づいてきている。圧倒されるぐらいストレートに歌われている。
でも慌てることはない、希望すら抱き静かに待つのだ
「世界の終わりがそこで見てるよと紅茶飲み干して 君は静かに待つ
パンを焼きながら 待ちこがれている
やってくる時を 待ちこがれている」
しかし“終わり”という言葉をきかされたところで、何か特別なことをしようとはならない。
世界の終わりはすぐ近くで待っているから、今を全力で楽しめということでもないのだ。紅茶とパンで静かに日常を過ごして待つ。
その後の“待ちこがれる”という表現に心が奪われる。ただ怯えるだけではなく、だれも想像ができない“世界の終わり”がくることに希望すらも抱いて見るという事。
THEE MICHELLE GUN ELEPHANTだからこそ歌えるストレートで力強いメッセージだ。