音楽業界を牽引する二人のコラボ作
▲『灰色と青』/ 米津玄師×菅田将暉
ボカロ世代から産まれた歌手米津玄師が、俳優の菅田将暉とツインボーカルをとった『灰色と青』。同世代を牽引するふたりがコラボした、貴重な楽曲ですよね。
『灰色と青』というタイトル、これは何を意味していると思いますか?色はしばしば、イメージを抽象化したものとして使われますよね。
「暖かい」なら赤、「うれしい」なら黄色やオレンジというように。では、「灰色」と「青」がそれぞれ示しているものとは何なのでしょう?
その答えを探るべく、一緒に歌詞を見ていきましょう。
曲の中に灰色がない!?
灰色と青
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朝日が昇る前の欠けた月を
君もどこかで見ているかな
何故か訳もないのに胸が痛くて
滲む顔 霞む色
≪灰色と青 ( + 菅田将暉) 歌詞より抜粋≫
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実は、「灰色」という単語は、歌詞のどこにも出てきません。
でも、ここのことを指してるんじゃないかな?という部分があります。「滲む顔 霞む色」というところです。
「滲む顔」と書いてあるのだから、きっと泣いているのでしょう。涙で景色が灰色に霞んでいるのです。でも、この灰色、ただ景色が霞んでいるだけではありませんよね。
灰色とは君の面影
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君は今もあの頃みたいにいるのだろうか
靴を片方茂みに落として探し回った
「何があろうと僕らはきっと上手くいく」と
無邪気に笑えた 日々を憶えている
≪灰色と青 ( + 菅田将暉) 歌詞より抜粋≫
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この曲の歌詞構成は、Bメロが過去の回想でできています。ドラマなどの映像作品で、過去を回想する描写があるときって、だいたいがモノクロームになっていますよね。
この曲でも同じで、つまり「灰色」とは「過去」のことなのです。泣きながら過去を思い出しているんですね。
では、灰色の過去とは、具体的に何のことなのでしょう。歌詞で米津玄師が思い出しているのは、すべてが特定の人との思い出。それは幼馴染なのかもしれないし、音楽仲間や専門学校時代の友人なのかもしれません。
過去に一緒に過ごしていた相手、その人との大切な日々を思い出しているのです。灰色の過去とは、「君の面影」のこと。「くだらない面影」と、歌詞にはあります。
面影が今の自分を勇気づけている
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どれだけ無様に傷つこうとも
終わらない毎日に花束を
くだらない面影を追いかけて
今も歌う今も歌う今も歌う
≪灰色と青 ( + 菅田将暉) 歌詞より抜粋≫
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過去を思い出すのは、ただ感傷に浸るためだけではありません。過去の思い出から力を得て、毎日を続かせていくためでもあるのです。
「灰色と青」の歌詞でも、過去の面影が現在の米津玄師を勇気づけている様子が、全体を通して書かれています。彼が今に至るまでの道は、決して思い通りの道ではなかったのでしょう。
たくさん遠回りをして、時には自分の無力さに打ちひしがれることもあったのではないでしょうか。そんな米津玄師の支えになっていたのが「面影」です。
「もう一度初めから歩けるなら すれ違うように君に会いたい」と歌詞にあるように、もう同じ思いはしたくないけれど、すれ違ってお互い気付かないような出会いでもいいから、「君に会いたい」んです。
それくらい米津玄師にとって、その人は大切な人だったのでしょう。
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終わりであり、始まりでもある
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朝日が昇る前の欠けた月を
君もどこかで見ているかな
何もないと笑える朝日がきて
始まりは青い色
≪灰色と青 ( + 菅田将暉) 歌詞より抜粋≫
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歌詞にでてくる「青」とは、夜明けの色であり、始まりの色です。「灰色」と「青」というふたつの色が、過去と未来の対比となっているんですね。
灰色の部分は今でも米津の中にあって、決して失われるものではありません。それでも日々は新しくなり、無力感の先に彼は、夜明けのように綺麗な青色を見るのです。
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