しかし志村正彦は金木犀で秋を表現しようと考えた。その時点で彼はやはり普通とは違っていた。
金木犀の花はその強烈な匂いで有名だ。毎年九月の終わり頃になるとどこからか漂ってくる香り。
不安を掻き立てるようなその香りを、誰もが一度は嗅いだことがあるはずだ。
匂いは記憶を呼び起こす。嗅覚ほど記憶と密接に結びついている感覚はない。もちろん視覚や聴覚がきっかけとなって蘇る思い出もある。
しかし懐かしい匂いを嗅いだ時に蘇る思い出は、それらよりもずっと色鮮やかで生々しい。
金木犀の香りは秋の記憶を呼び起こす。一年前この香りを嗅いでいた頃は何をしていたっけ、その前の年の今頃は何をしていたんだろう、と過去へ遡っていく。
そんな思索を志村正彦はこう綴った。
フジファブリックの「赤黄色の金木犀」
もしも過ぎ去りしあなたに
全て伝えられるのならば
それは叶えられないとしても
心の中準備をしていた
金木犀の香りに触発されて記憶を辿るうちに、思い出す人がいたのだろう。会わなくなって久しい人と、もしまた会ったら何を話すか。
昔のことを思い出していると、そんなどうでもいいことを考えてしまう。そしてサビへ続く。
短い歌詞に込められた感情の揺らぎ
赤黄色の金木犀の香りがしてたまらなくなって何故か無駄に胸が騒いでしまう帰り道
過去の自分の姿が蘇り、その言動を懐かしく思ったり、恥ずかしく思ったりする。そんな気分の浮き沈みが、少ない言葉で見事に表現されている。
「胸が騒いでしまう帰り道」を経験しても、我々凡人はすぐにそれを忘れてしまう。次々に生まれては消える感情を留めておけない。
しかし志村正彦はそんな些細な情緒も見逃さなかった。感情の揺らぎを切り取って歌詞にした。そのおかげで我々は、忘れかけていた胸のざわつきを思い出すことができる。
そしておそらく志村正彦自身も、この曲を聴いて何かを思い出していたのだろう。
志村正彦の天才的なセンスを感じる「赤黄色の金木犀」
胸のざわつきは、歌詞だけでなく音によっても表現されている。最も印象的なのはサビに入る直前のコード(=和音)だ。なんとも不安定で複雑な響きをしている。これはAm7(♭5)というコードであり、次なるA♭というコードに着地するための足掛かりとして機能している。あえて一度緊張を走らせた後にそれを緩和して、聴く人を惹きつける。
緊張と緩和は音楽に欠かせない要素であり、あらゆる曲に取り入れられているが、m7(♭5)をこんなにもうまく使った曲は他に類を見ない。
不安を掻き立てるようなm7(♭5)の響きと、同じく不安を煽るような金木犀の香りを結びつけたところに、志村正彦の天才的なセンスを感じる。
TEXT:安部孝晴