石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」
しかし石川さゆり「津軽海峡・冬景色」は40年前の作品であるにも関わらず、今でも誰もが知る名曲。
一度聴けば誰の耳にも残ってしまうこのインパクトは、一体どこからくるのでしょう?
そこには作詞・作編曲ともに「聴く人を津軽海峡へ連れて行く」ある仕掛けがあったのです。
爆発力のあるイントロ
この曲の大きな特徴の一つが、インパクト大のイントロ。まるでベートーベンの「運命」のような「ダ・ダ・ダ・ダーン」という始まり方です。
作編曲した三木たかし氏は、冬の津軽海峡の厳しい寒さ・海の荒さをイメージしてこの部分を作ったそう。
これを歌っている石川さゆり自身も、はじめて聴いたとき「何だこの曲は」と衝撃を受けたと語っています。
実はこの部分、歌のメロディーよりも先にできたそうです。
これがベースとなりその後のメロディーが作られていったことを考えると、イントロはこの曲の核と言っても良いのではないでしょうか。
この1フレーズだけで、荒波の打ち寄せる冬の崖に、ぽつんとひとり佇んでいるような気分にさせます。
聴衆をワープさせる歌詞
ヒット曲の法則の一つに、「つかみで印象強い動詞が使われていること」というものがあります。昭和歌謡会の巨人と言われる阿久悠氏によって作詞されたこの曲も、まさにその方程式があてはまっています。
上野発の夜行列車降りた時から
青森駅は雪の中
想像してみてください。上野を発車した次の行ではもう、しんしんと雪の降り積もる田舎の駅。
動詞は「降りた」だけですが、「上野発」「夜行列車」「雪の中」という、全て「動き」のある言葉が使われています。
つかみは、その歌詞の世界にワープできるかどうかが懸かっている重要な部分です。
より深く感情移入して聴いてもらうためには、ワープ力の強いつかみは欠かせません。
しかし普段人が感情を伝えたい・わかってほしいと強く思う時、多くはその感情表現に力を注ぎます。
自分はこんなに悲しいのだ、寂しいのだ、好きなのだと。
しかしそんな感情は世界中にありふれているし、だいいちその「独りよがり」を言葉で言ってしまうのは非常にナンセンスなのです。
では、「津軽海峡・冬景色」の感情表現はどうなっているでしょうか。
凍えそうな鴎見つめ 泣いていました
風の音が胸をゆする 泣けとばかりに
「悲しい」「苦しい」「辛い」など、主人公の感情を直接示す言葉は、一つも入っていません。
唯一ある「泣く」という言葉も、「鴎見つめ」泣くという間接的な表現になっています。
それ以外では感情はおろか「誰も無口」で、海鳴り以外の音さえ発していません。
それなのに、まるで鮮やかに、激しく岸壁に打ちつける波と、その波のように冷たい悲しみに身を投じる女が見えてくるような気にさせます。
「感情移入できること」は、良い歌詞の大きな一つの条件です。しかし、感情を語れば感情が伝わるのではありません。
ありふれた自己満足の感情表現より、たった一人の誰かの心にワープできる物語の方が、なぜだか人々の心に響いてしまうのではないでしょうか。
そんな考え抜かれた歌詞が、あの爆発力のあるイントロに続いてやってくるのですから、「ワープ」させられるのも無理ありません。
この作詞・作曲ともに素晴らしい「つかみ」の表現してくれた曲ですが、先にできたのは歌詞の方。
しかし、仮に歌詞だけ読んでも、メロディーだけ聴いても、もはや「津軽海峡・冬景色」でしかないような気がします。
これも阿久悠氏が作り上げた歌詞の世界観を三木たかし氏が広げた結果だと言えるでしょう。
そしてもちろん、歌うのは歌唱力・表現力抜群の石川さゆり。
当時まだ19才だったにもかかわらず見事に演じ切った結果の、長年愛される名曲につながったのです。
「津軽海峡・冬景色」もう一つの意味
リリースから40年の時を経て、石川さゆり「津軽海峡・冬景色」は、当初とは少し違う新たな意味を持ち始めています。それは「年の瀬」。
紅白歌合戦ではこの曲かもう一つの代表曲「天城越え」を歌うことが多いため、この曲を聴くと、ああ今年ももう終わるなあと壮大な日曜日のサザエさんを観るような気分になる方もいるのではないでしょうか。
この曲がヒットし、さらに誰にも愛される演歌として歌い継がれているその仕掛けは「つかみ」。
今年を振り返って聴くのもよいですが、ぜひぐっと「つかま」れてそのまま雪の青森駅に降り立ってみるのもよいのではないでしょうか。
TEXT:サニー