RADのラブソングに愛の言葉は少ない。
RADWIMPSのラブソングでは「好き」や「愛してる」という言葉はあまり使われない。それでも心を締め付けられるような愛が伝わってくるのだ。
逆の意味で胸が締め付けられるのが2013年に発売され、リスナーに衝撃を与えたシングルが「五月の蝿」だ。
RADWIMPSは繊細でストレートな歌詞を書くイメージが強いが、以外にもこの曲はグロテスクで憎しみが溢れた恋の終わりを歌っている。
ただその裏には深いメッセージが込められているのだ。
憎しみの強さ
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僕は君を許さないよ 何があっても許さないよ
君が襲われ 身ぐるみ剥がされ レイプされポイってされ途方に暮れたとて
その横を満面の笑みで スキップでもしながら 鼻歌を口ずさむんだ
僕は君を許さない もう許さない もう許さないから
≪五月の蝿 歌詞より抜粋≫
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緊張感のある歌いだしと冒頭の「僕は君を許さない」というフレーズの繰り返しから“憎しみ”の強さが伝わる。
ギターの特徴的なリフが圧倒的な存在感をだしており、どこか切ないサウンドが特徴だ。
二人の間に何があったのかとリスナーの興味をそそるような歌いだしである。
グロテスクな表現に隠されたメッセージ
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哀しみや憂いの影の 一つも宿さず
かわいいと謂れ慣れて 醜く腐ったその表情
もうフォークを突きたてたいよ
あぁ死体 死体になった君を見たい
≪五月の蝿 歌詞より抜粋≫
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“僕”からみた“君”の人間像が伺える。
明るくてかわいいと言われ慣れている“君”が、傷つけたいくらい憎い存在であるのだ。
“殺したい”ではなく“死体になった君を見たい”という表現もRADWIMPSらしい。
人間としてのカタチは残りながらも、温もりが消えて生きている人間ではなくなった死体という姿が見たいのであろう。
またリスナーが驚いてしまうほどグロテスクな表現が続く。
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君にあげた僕の言葉達よ成仏せよ
その身体に解き放った 愛しの僕の精液を お願いよ 取り返したいの
かわいそう かわいそうで泣きそう
≪五月の蝿 歌詞より抜粋≫
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憎しみに加え、まるで愛し合った日々を悔やんでいるようだ。
しかしここからグロテスクの裏にかくされた本当のメッセージが垣間見える。
“その身体に解き放った愛しの僕の精液をとりかえしたいの”という表現はこの後歌われる“君の愛する我が子”と関連つけて考えれる。
おそらく“僕”は“君”を妊娠させてしまい、本当は大きな罪悪感を抱いていたのだ。
その大きな責任や彼女への愛情がぐちゃぐちゃになり、生まれたのがグロテスクな表現なのだ。
「究極の愛」から生まれた「憎しみ」
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空が蒼いように 華が散るように 君が嫌い 他に説明は不可
君が主演の映画の中で 僕はそう 最強最悪の悪役
≪五月の蝿 歌詞より抜粋≫
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そしてここから物語が急に紐解けてくる。
ヒステリックな表現が続いていたが、ここでは当たり前に起こる自然現象のように“君が嫌い”といっている。
なんとも残酷で美しい。そして“君が主演の映画の中で最強最悪の悪役”という歌詞から、君を苦しめる存在でありたいことが分かる。
もしも本当“僕”がかわいそうであるならば、“君”が悪役でもいいのではないか。
本当は彼女のことを深く思っているから、恐怖すらも感じさせるストレートな歌詞を用いて完全でサイコパスな悪役になりきっているのだ。
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激動の果てに やっと辿り着いた 僕にもできた絶対的な存在
こうやって人は生きてゆくんでしょう? 生まれて初めての宗教が君です
≪五月の蝿 歌詞より抜粋≫
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本当は僕にとって君は絶対的な存在であったのだ。
毎日頭を下げてなんとか生きていた僕が君と出会って恋をして強くなれたように、君は僕を変えてくれる世界に一つだけの宗教であった。
今まで“僕”と“君”の独特の二人だけの世界が歌われてきたが、“そうやって人は生きてくんでしょ”と人間の生き方が問いかけられている。
カタチを変えてしまった“許さない”という憎しみは、生きて行く上で人間が必要としていた“究極の愛”から生まれたものであったのだ。
言葉の裏に込められた究極の愛
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僕は君を許さないよ 何があっても許さないよ
君の愛する我が子が いつか物心つくとこう言って喚き出すんだ
「お母さんねぇなんで アタシを産んだのよ」
「お母さんの子になんて産まれなきゃよかった」
≪五月の蝿 歌詞より抜粋≫
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悪役として君が一番傷つくような復讐したいのであろうか。
我が子というのは母親にとって最愛の存在であり、ニ人の愛の証でもあるのだ。
そのニ人の愛の証が物心ついたころから“生まれなきゃよかった”という様子はなんとも残酷である。
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そこへ僕が颯爽と現れて 両の腕で彼女をそっと抱きしめるんだ
君は何も悪くないよ 悪くないよ 悪くないから」
≪五月の蝿 歌詞より抜粋≫
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その愛の証でもある子供をそっと抱きしめるという終り方だ。
“君は何も悪くない”というのは二人が愛し合ったことは罪なんかではなかったと言っているようにも思える。
僕が君を許せないのと同じくらいに、君とずっと一緒にいれなかった僕自身も許せなかったのではないか。
TEXT:松原 千紘