スガシカオの「黄金の月」
ここからスガシカオの「黄金の月」の歌詞から曲を読み解こう。
1. 誰よりもうまく自分を偽る、の意味
僕の情熱はいまや流したはずの涙より冷たくなってしまった
どんな人よりもうまく自分のことを偽れる
力を持ってしまった
告白からはじまる歌詞。ピュアだった少年が、いつのまにか汚れた大人になってしまう。
そのことを誰よりも知っている自分自身。
どれだけ汚れてしまったか、他人は騙せても自分だけは騙せない。その果ての冷え切った自己嫌悪。
大事な言葉を何度も言おうとして
すいこむ息はムネの途中でつかえた
どんな言葉で君に伝えればいい
吐き出す声はいつも途中で途切れた
どんなに出そうとしても、消えてしまって出てこない言葉。
君に伝えなくてはいけない言葉を汚れてしまった自分は口にすることができない。
もしかして、そんな言葉ははじめからなかったのではないかと思ってしまう。
暗闇の底の独白。メロディーが美しいぶん余計に救いのなさが胸に迫る。
2. 美しい嘘と残酷な真実
スガシカオがデビュー前にサラリーマンだったことは有名だ。デビュー当時から彼の歌詞は周りのJポップとは明らかに異質なオーラを放っていた。
ほろ苦さと諦めの混じりあう、挫折を知った大人の言葉。
しかし、そこにはかすかな希望が見え隠れする。
知らない間にぼくらは真夏の午後を通りすぎ
闇を背負ってしまった
そのうす明かりの中で手さぐりだけで
なにもかもうまくやろうとしてきた
君の願いとぼくのウソをあわせて
6月の夜永遠をちかうキスをしよう
そして夜空に黄金の月をえがこう
ぼくにできるだけの光をあつめて
光をあつめて…
真夏の強い日差しに照らされた影の濃さ。それは闇なのだろうか。
雨やジューンブライドの比喩としての6月。
ちなみにスガシカオには「June」という名曲もあるので、気になった方は聴いてみてほしい。
言えないでいること。
これからも話すことはない、墓まで持っていく記憶。
嘘と願いの裏側に残酷な真実が横たわっていることを「ぼくら」は知っている。
一見するとロマンチックな歌詞だが、どこまでも残酷な解釈を貫くならそこに光などない。
あるとしてもか細くて今にも消えそうな、わずかばかりの明るさ。
願いと嘘の対比が光と闇のコントラストを際立たせる。
3. 黄金の月が意味しているもの
ぼくの未来に光などなくても誰かがぼくのことをどこかでわらっていても
君のあしたがみにくくゆがんでも
僕らが二度と純粋を手に入れられなくても
繰り返される仮定法のリフレイン。
最後にすべてを否定するかのように、失ってしまった純粋さや未来さえ必要ないと歌う。
「黄金の月」のテーマを一言でいうなら"純粋さを失ったあとに人はどうやって生きていくか?"である。
汚れて純粋さをなくした「僕」が、君への嘘を隠して歩んでいく、というのがここまでの流れ。
しかし、そんな生き方に「光」なんてないことはわかりきっている。
今見えている希望もいつかは消えてしまうし、純粋さを取り戻すことも美しい明日が来ることもおそらくない。
それでも…
いつか読んだインタビューで、スガシカオは自身の音楽を「99%の絶望と1%の希望」と語った。
すべてを否定してそれでも残るものがあるなら、それをなんと呼べばいいのだろうか?
希望や夢、光といった言葉で表すことのできない、生きていることの根源的な美しさを、スガシカオは黄金の月になぞらえている。
今ここに自分が存在しているという真実だけは、どんなに否定しても否定しきれないからだ。
それは「君」の存在をも同時に照らし出す。
残酷な真実と嘘によって「ぼくら」は互いの存在を知り、出会う。
1%の希望は99%の絶望から産み出される。
4. ぼくりりとの共通項
夜空に光る黄金の月などなくてもリズムに対する瞬発力と作家性の高い歌詞の世界。
異色の存在だったスガシカオを継いでいるのは、ぼくのりりっくのぼうよみだと思う。
言葉に対する感性、エッジィな世界観、R&Bフィーリングあふれる歌。
欲望を果実になぞらえるなど歌詞に漂うエロスも2人の共通項である。
そんな2人がピュアネスの象徴として引用する月は、孤独の底からあなたという存在を照らし出す役割を担っている。
その月に向かってしぼり出すように歌う声はとてもソウルフルだ。
筆者自身、人生でもっとも困難な時期にこの曲と出会った。いまだにそのときの衝撃は忘れられない。
それまでの価値観が崩壊したときに、唯一信じることができたのがスガシカオの曲だった。
もし彼の言葉がもっとストレートに夢や希望を歌っていたなら、はたして自分は受け入れることができただろうかと思う。
汚れて純粋さを失っても、希望がまったくなくても、それでも生きていく意味はあるとスガシカオは教えてくれる。
そこに「黄金の月」がなかったとしても。
TEXT:石河コウヘイ