『その先へ』の歌詞に秘めた挑戦の気持ちとは?
──その10周年のアルバムの中に『その先へ』が新曲として入っているんですけれど。改めてこの曲の誕生の理由とか、込めた思いとか、そういったことを教えてください。KYOHEI:元々は、横浜DeNAベイスターズ打撃コーチの坪井コーチ(坪井智哉)から紹介してもらったんです。僕らは坪井コーチのテーマソングというか、人生の応援歌みたいなものを書かせてもらったんですよ。坪井コーチは日ハム時代のファンの方のために毎年北海道でトークショーみたいなものをやられていて。そこで披露させてもらったりとか、そういう縁の中で、坪井コーチから選手の登場曲とかを書いたらもっと広がるんじゃない?と提案していただいて。桑原選手を選んだのは完全に坪井コーチの人選なんです。桑原選手はすごく後輩にも慕われていて、先輩と後輩のちょうど中堅どころというかムードメーカーで、ファンにも愛されていて。会ってみたら、その理由がすぐに分かりました。初めましてで、「じゃあ、どういう曲にしましょう?」という感じでした。
──もうそこから作られているんですね。
KYOHEI:はい。その話が固まってから会いに行ったので。気づいたら、2,3時間ずっと話しをするほどすごく気が合って。あと、沖縄でキャンプをやっているところに、スケジュールの関係上タイミングがそこしかなくて、伺わせてもらったんですけど。桑原さんの桑原さんっぽいというか、すごく熱い方なので。そういう雰囲気が僕らの歌とリンクしたら良いなという気持ちで書き始めました。
──わかりました。うちは歌詞のサイトなので、ここがお気に入りみたいなところがあれば教えていただきたいです。
MITSUAKI:この曲をKYOHEIが書き上げて。はじめに読んでバシッときたのがサビなんです。たぶん皆も共感されるかもしれないですけど「今ここにいる自分を誇れるか 答えは出てる いざゆこう」のところ。自分も今ライブで歌っていて感じているんですが、この部分に聞いているお客さんにも響いてほしいなみたいな気持ちもあって。
KYOHEI:そうですね。歌詞全体はすごく時間がかかったんですけど。サビのここの部分は何の迷いもなく出てきました。それこそ、こうやって野球選手というアスリートの方と話してなかったら出てこなかった歌詞じゃないかなと思うんです。バッターボックスに向かうときの気持ちって、たぶん一生味わえないというか。
僕らで言い換えるとすると、ステージに上がる直前だったり。僕らはいつも握手をしてから上がるんですけれど。そこまで積み重ねてきたものを…。その一振りの結果で白黒がつくという世界で生きていらっしゃる方は、常にそういうことを抱えているんだろうなというのがあって。そこで、ぐっと脇が締まるような歌になったら良いなと。
僕もこの詞が好きなんです。歌詞を書いているときに、どうしても歌い出しが決め切らなくて。聞いてくれている人も、スポーツが大好きでも、ほとんどの人がアスリートではないから。そこで共感できる何かが、誰でも分かる印象深い言葉はないかなと思って。
1日公園で歌詞を書いていたら、だんだん空が明るんできて。すぐそばで野球場があって。その声も6時くらいになるとだんだん声もしなくなってきて。お腹も減ったなとか思いながら歌詞を書いていたときに一番最初の歌詞がようやく出てきたんです。
「茜色に染まった 泥まみれのユニフォーム」という初めの歌詞は一見何でもない歌詞なんですけど、僕的には共感できる部分がぽっと出たあとの最後の締めで書いた部分なので思い入れがちょっとありますね。
──詞を読んで、曲を聞かせていただいたんですけれど。やっぱり、バッターの入場曲というよりは本当にアスリートというか。何かいろんなことに挑戦していく、これから動き出す1歩前というか。そういうところがすごい伝わってくるなと思って。勝負の前にこれを聞くファンの方々とか、毎朝聞く方々とか、いるんじゃないかなと思ってます。
KYOHEI:嬉しい。
──そこが歌詞の一番のところなんですね。それで、そんなベイスターズで桑原さんがサイクルヒットを達成されましたね。テレビか何かで見られたりしていましたか?
MITSUAKI:僕らは山形にちょうどいたんです。残念ながら生では見れていなかったんですけど。すぐ速報で入ってきて。
KYOHEI:すごかったですね。しかも、本人の誕生日前日だったので。自分で自分にプレゼントってすごいよね。
MITSUAKI:すぐに動画を送りました。祝福動画を。
KYOHEI:おめでとうございますって言って。やっぱり持っている人だなと思って。
──そうですよね。史上67人しか達成していないんですもんね。
KYOHEI:僕らが『その先へ』を送って球場で登場曲として使われはじめて、最初は調子が悪かったんですよ。
──そういうの嫌ですね。
KYOHEI:僕たちもちょっと悔しいじゃないですか。でも一番悔しいのは本人なんですけど。桑原さんがバッターボックスに立つ姿を見ていると、やる気がもうすごいオーラで出ていて。これはもう相当気合いが入っているなというのが伝わったんです。それが結果として出ないという世界で。でも、まさにこの6,7月でものすごく調子を上げて、打率2,3割を取れてというのが、この歌らしくてはまっているなと実感しました。
──これからバンバンまだ活躍をされていくかと思いますよね。
KYOHEI:ぜひぜひ。
MITSUAKI:僕ら毎回2人で見に行ったりしていたときは、だいたい阪神戦なんですよ。
KYOHEI:しかも負けるんですよ(笑)
MITSUAKI:阪神が勝っちゃうんですよね、ベイスターズのあのホームグラウンドで。
──逆ですね、阪神は甲子園でめっちゃ負けてる。
MITSUAKI:本当ですか。てか、やっぱり、応援すげぇなと思ったね。
KYOHEI:(笑)
MITSUAKI:応援に命をかけているんですね(笑)びっくりしましたよ。
居心地が良い地元の仲間
──MITSUAKIさんは、大阪が地元なんですよね。帰ってきたときの気持ちとか、絶対に行くところとかありますか?MITSUAKI:絶対に行くところ…、そうですね…。最近はちょいちょいなんですけど、心斎橋のざうおという居酒屋があるんです。そこの店長が自分の小学校からの幼なじみでしかも副店長も幼なじみなんですよ。だから、いろいろと居心地が良くて。そこに行ったら皆集まってくるみたいな。
──ちょっと昔に。童心に返ってじゃないですけど、そんな感じですね。
MITSUAKI:そうなんです。
──これも微妙な言葉なのですが、利害関係で繋がっていないじゃないですか。そういう友達ってすごい良いですよね。
MITSUAKI:本当に居心地が良いですね。彼のところに帰ってくると。
──あれも食え、これも食えみたいな感じで。
MITSUAKI:そうそう、そうなんですよ(笑)面白いですね。あとは、大阪弁が飛び交う。新幹線から降りてタクシーに乗って移動するときにも、タクシーの運転手さんの「どこ行きます?」からの大阪弁で帰ってきたなと。それが好きですね。
──KYOHEIさんはどちらですか?
KYOHEI:僕、地元神奈川なんですよ。東京に住んでいて割と実家にも帰りやすいのであまり「帰った!」みたいなのはないかもしれないです。
──神奈川だと本当にベイスターズの本拠地でめっちゃ嬉しいじゃないですか。
KYOHEI:はい。川崎で、ちっちゃい頃に横浜とかあまり行かなかったのでそこまでの実感とかはないですけど。
──川崎だったらもう、東京に出てしまいますよね。
KYOHEI:はい。本当に多摩川のすぐ近くですからね。それこそ、MITSUAKIと出会ってから。僕的には初めての大阪人なので。関西弁もそうだし。母の実家が沖縄なんですけど、それ以外のところにはほとんど行ったことがなくて。大阪が僕の中ではけっこうフレンドリーというか。ガンガン大阪弁で来る感じとか。
あとは、Honey L Days として活動してから、大阪は本当にしょっちゅう来させてもらっているので、なんか僕的にも帰ってきたという感覚が生まれるくらい大事な場所です。
学生時代からバンドを中心にライブ活動を行っていたKYOHEI (Vo,Gt)と、ゴスペルグループで活動を行っていたMITSUAKI (Vo)が、舞台出演をきっかけに出会い、Honey L Daysを結成。 ライブハウスを拠点にロックヴォーカルデュオとしての活動を本格化させ、2008年にシングル「Go⇒Way / Center of th···