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歌詞を書くのは新潟の家のピアノの前だけ
――笹川さんはデビュー15周年になると思うのですが、デビュー前と比べて、私生活や音楽生活で何か変化はありましたか?笹川:曲の作り方とかは、基本的には最初の頃から変わっていないです。デビュー当時は東京が好きじゃなかったんですが、今では東京も好きになったとか。20歳から35歳なので、心境の変化はありますね。
――ご出身は新潟ですが、新潟のほうが住みやすいとか、過ごしやすいというのはありますか?
笹川:新潟はもちろん地元で、生まれ育った場所なので住みやすいです。冬の寒さが体にこたえて本当にきつくなっています(笑)私はすごく末端冷え性なので、ちぎれるんじゃないかというくらい寒くなります。体力的な問題は、たしかに雪国は大変ですね。雪景色は綺麗なんですけど、いざ住むとなると雪をのけないと車を運転できないし。
――歌詞は、新潟で書くときと、東京で書くときもあるんでしょうか。
笹川:基本的には、私は新潟の家のピアノの前だけなんですよね。東京で歌詞を考えたことはないです。
――書こうと思ったりはしないんですか?
笹川:してみても良いかもしれないですね。私の曲の作り方が、メロディーと歌詞が同時なので、いつも一緒なんです。もし今後、何か曲だけを頂いて歌詞を書くというやり方があった場合は、東京のどこかで書いたらまた違う目線になるのかなと思ったりはしますね。
――ご自身が新潟にいらっしゃるときは、ピアノの前とおっしゃっていましたが、具体的にどんな瞬間に閃くのかが気になりました。
笹川:ピアノの前に座ると音楽モードになります。窓があるんですけど、窓の景色を見ていて、ポンとワードが出てきて作るとか。ピアノを適当に弾きながら、何かを探しているという感じがあるかもしれないですね。鍵盤上に見えない言葉だったり、今の伝えたい言葉にすごくぴったりなワードは何だろうと、弾きながら出すという感じかもしれないです。なので、どういうときかというと、本当にピアノの前の音楽モードになったとき。それ以外は、基本オフっています。全くもってひどいものですけど。
――脱線しちゃうんですけど、私生活だといつもどんなことをされているんですか?
笹川:よく聞かれるんですけど、家から出ない!(笑)本当に出なくて。もちろん、新潟にいる友人たちに会うとか、食事に行くとか、お買い物に行くとか、本屋さんに行くとか、外に出ることはあるんですけど。家の中が好きなので、家事をしているか、本を読んでいるか、ピアノを弾くか、映画を見るか、刺繍をしているか。今回のジャケットもそうなんですけど。
――今回のジャケットも笹川さんが、刺繍で作業されているんですね!凄く細かくて素敵です!
『豊穣 -BEST ’03~’18-』ジャケット
笹川:アートワークチームが凄いように見せてくれたんです~(笑)でも、その刺繍も去年の頭くらいから始めていまして。実はプライベートでいろいろあって、時間が出来ちゃって!(笑)どうしようかと思ったら、母に会って、“刺繍をしてみれば?”と言われて始めました。母と祖母が、お裁縫が上手なんですよね。私はお裁縫苦手なんですけど、見事にはまって好きになりました。
――ちなみに、これはお花ですよね?
笹川:一応、今回のアルバム『豊穣』をイメージしています。だから、お花というか、稲穂だったり、そういうものをイメージして作ったんです。全部で何パターンかいると言われたので、いろいろやっていました。本当に、ケツがなくなったんじゃないかと思うくらい座って作業をしていて…。お風呂に入って、ケツを鏡でチェックしたくらい(笑)35にもなると、本当にケツも潰れるんじゃないかと思って焦りました(笑)意識してプリッとしないとね!これを見る10代、20代の方には必要がないと思いますが…。
――なるほど(笑)笹川さんは、すごくイメージと真逆で面白い方ですね!
笹川:すごい、言われるんですよね。これなんです。怖いというか、喋らなくて、お野菜しか食べなくて、太陽が嫌いというイメージを持たれる方がほぼなんですけど。全然です!一般の人です。おばちゃんみたいな(笑)
――とても親しみやすいです。
笹川:良かったです。何でも聞いてくださいね!!
タイトルは十五夜様がきっかけ
――アルバムの話にいきたいと思います。今回、タイトルは『豊穣』ということですが、新潟ご出身だからこそ、付けれるゆかりのあるタイトルですね。元々、このタイトルをつけるきっかけはあったんですか?笹川: “高鳴りでいこうかね”という話をしていたときに、やはり、ベストということで、曲タイトルじゃないほうが良いんじゃないかという話が出たんです。それから、15周年というところから考えてみることになって、私の頭の中で最初に浮かんだのが、十五夜様だったんですね。田舎なので、月とか星とかもよく見えるんですけど、うちの祖母が、十五夜様に対して、ちゃんとススキをたてたり、お団子を供えたり、お野菜を供えたりするんです。
要は、十五夜様って、五穀豊穣を祝う祭事というか。祭事までいかないのかな。豊穣って良いじゃん!!と、そこで繋がったんですよね。それこそ、稲穂というのは、新潟にはバーッとあるんですよ。実り豊かな大地というのは、もちろん自分の中には入っていますし。自分にとってもこの15年の曲たちも実りだなというところで、豊穣はすごくぴったりかもと思って。“豊穣はどうでしょう?”と言ったら、皆さん全員一致で豊穣になりました。だから、15周年から、連想ゲームじゃないんですけど広げていって、豊穣が自分の中でピタッときた感じなんです。
――今作はその中でも最初にメジャーデビュー曲を入れているんですよね。元々、順番はどのように決められたんですか?
笹川:順番は全部リリースの時系列で入れました。最初は、別な感じでも考えたんです。たぶん、聞かれて分かると思うんですけど、やっぱり最初は声が若いんですよね。それがちぐはぐになっちゃうのもあれだし。やっぱりベストなので、時系列に入れていって、移り変わりを聞いてもらいたいというのもあり、そこに落ち着きました。
――15曲の中で、新曲を3曲入られていると思います。まず、『蝉時雨』からお聞きしたいのですが、歌詞の前にどういった思いで書かれたのか教えてください。
笹川:これは、この夏に大阪と東京のほうであった『野球』という舞台があったんですが、その作・演出の西田大輔さんと以前から知り合いだったのと、お仕事もしたことがあったんですよね。その西田さんから今回、舞台のために書き下ろしをしてほしいと言われたのが始まりです。私は歌詞を書くときに、映像か言葉から連想をして曲を書くことが多いんですけど、西田さんの言葉の中から蝉という言葉が出てきたときに、自分の中にちょっと引っ掛かっていたので、そこから思いを膨らませていきました。
時代背景が、戦争で野球がしたくてもどうしてもできない少年たちの事を舞台にしているんですが、彼らは彼らで一生懸命生きていたんだと。“野球がしたいという思いをただ伝えたい”と言われたんです。“戦争が悲惨だというのを伝えたいんじゃない”というふうに言われていたので、そこから、私は蝉と連想づけていきました。あの短命の中でも必死に生きている蝉と、当時の彼らを重ね合わせて曲を作ったという感じなんですよね。
――夏の情景が浮かぶ、本当に美しいメロディーだなと思いました。
笹川:嬉しいです!
――夏を生きている1人の少年の、存在証明の歌という感じがしました。
笹川:まさしくそうなんです。私たちは、戦争に行って死んでしまった人たち、男の子たちという概念・括りで見ちゃうんですけど。きっと、各々恋もして、家族もいて、やりたいことがあって。本当に一人一人の人間だったのでそれをすごく表したかった。あとは、夏の作品だったので、日本人って夏休みのせいなのか、夏の終わりって切ないものでもあるじゃないですか。季節が本当にバカッとわかれる。“変わりめ”の寂しさを知っているというか。それもすごく出したくて。その歌詞を作ったんですよね。
――夏の始まりと夏の終わりの両方が感じ取れる作品ですね。
笹川:嬉しいです。夏の盛りも出したかったですし、夏の終わりの切なさも出したくて。それが伝わったのならとても嬉しいです。