曲作りを始めたきっかけは、友達に贈る歌
──メジャーデビューおめでとうございます!番匠谷紗衣:ありがとうございます!
──中学2年生から曲を作り、作詞作曲を始められてたということなんですけど、そもそも音楽をやりたいと思ったきっかけや、自分で曲も歌詞も作ろうと思った理由を教えてください。
番匠谷紗衣:初めてちゃんと曲作りをしたのは、中学3年生のときに1曲目の曲が完成したんですけど。それが、ほんまにちっちゃいときから家が近所で幼なじみみたいな友達がいて、その友達が結構いろんなことで悩んでいる時期があって、そのときに全然励ましてあげれへんくて。だから、曲づくり、曲にして伝えたいなっていうのをずっと思っていて。ふと寝る前に歌詞とメロディーができたんです。『君へ』っていう曲なんですけど、その曲をその友達が聴いてくれたんです。
──そのお友達に書いたっていうことは、本人には言えなかった?
番匠谷紗衣:そう。言えなかった。夜中に自転車で2人乗りをしてコンビニに行ったんですよ。そしたら、「聴いたで、あれ。ちょっと泣いたわ」みたいな風に言ってくれて。それで「ああ、そうなん?」みたいに返して(笑)
──「ああ、そうなん?」ですか(笑)!
番匠谷紗衣:「へえ、ありがとう。聴いてくれて」みたいな。全然違うからって感じを出しました。そのときに、1人の人を思って書いたわけなんですけど、ちゃんとほんまに思っていることを言葉にするより曲の方が言えたりするんやっていう驚きが自分の中にあって。それが今も原点となっていますね。
──そのお友達に、「UtaTenのインタビュー見てね」って言っておいてください。(笑)
番匠谷紗衣:絶対いや。絶対いやです。本当にいや。
──見てもらわないと。(笑)
番匠谷紗衣:絶対いや。ハズすぎる…。
──いつになったら言うんでしょうね。
番匠谷紗衣:いやー、言わないんじゃないですか?
──でも、気づくんじゃないですか? 気づいてないかな。
番匠谷紗衣:でも、恥ずかしくないですか? 私の曲、絶対、誰か1人に向けて書いているんですよ。自分のことを歌っている曲もあるんですけど。だから、「絶対俺のことや」とか、「絶対私のことや」みたいな所があると思うんですけど。私のことを応援してくれて毎回ライブに来てくれている人が、就職するからもうライブにしばらく来れへんみたいな、このライブがもう最後みたいな日があったんですよ。そのときに、私なりに、何かしたいって思って、曲を書いたんですね。「遠く離れても繋がってる」みたいな、そのまんまやって絶対思う歌詞なんです。
──自分の気持ちを曲に乗せると書けるんだっていうことをおっしゃっていましたけど、それまでの、曲を書き始めるまでの音楽との関り方というか、人より音楽と触れ合ってきたなみたいなのってあったりするんですか?
番匠谷紗衣:幼稚園ぐらいのときから、歌の練習をするっていうことは当たり前のようにありました。
──歌の練習が当たり前?
番匠谷紗衣:そうです。歌がうまい人が好きで、歌が上手い人の曲を聴いてモノマネをしたり、曲を作ったり。作るっていうほどじゃなかったですけど、ノートに歌詞を書いたり、歌詞とメロディーを自分で作って歌ったり、そういうのは当たり前のように小っちゃいときからやっていて。音楽が好きやったんで、小2ぐらいでは、将来歌手になるんやって決めていました。
──すごいですね。小2からの夢がちゃんと形になって。
番匠谷紗衣:なっていきつつありますね。
──メジャーデビューっていうところって意識していました?
番匠谷紗衣:メジャーデビューは意識していました。でも最初は、メジャーデビューをしたいからやるとかいうことは全くなかったんですけど、行動する、何かするとかはありました。1回目のワンマンライブのときに、すごい地道やったけど、1人ひとりの人に自分1人でチケットを届けて行って、200人ぐらいの規模のワンマンライブをやり遂げたときに、自分の中で、こうやって今来てくださっている方に対して、自分が一番目指してない、高いところを目指して、そこに向かってやってないと失礼やし、ほんまに恩返ししたいなっていう気持ちになって。一緒にもっといろんな景色見たいなっていう気持ちになってから、メジャーデビューが1個の目標としてあったんです。
──周りの方やファンの皆さんの反響はいかがですか?
番匠谷紗衣:意外にみんな、「めっちゃおめでとう」とか言ってくれて、「そんなに祝ってくれるんや」ってびっくりしたんですけど、めっちゃうれしかったです。でも、その分やっぱり、「おめでとう」って言ってもらうたびに、「これから頑張らな」って気が引き締まるみたいな気持ちになりましたね。
大好きなアーティストは尾崎豊
──番匠谷さんがよく聴いてたアーティストとか、好きな曲とかをお伺いしたいです。弾き語りやられているからこそ、そういうアーティストさんをよく聴いてたりするんですか?番匠谷紗衣:はい。弾き語りのシンガーソングライターの人をずっと昔からルーツとして聴いてきて、そういうのに救われてきたんですけど。その中でも尾崎豊さんが好きです。カップリングに尾崎豊さんの『Forget-me-not』が入っているんですけど、尾崎豊さんが結構、私の中にすごく太いルーツとしてありますね。
──尾崎豊さんは、親御世代が聴いていた時代でもありますし、そういうのが反映されたりしてそうですね。私もそうでした。
番匠谷紗衣:テレビでちょっとだけ、一瞬流れたときに、「おお!」ってビビってなって!CDを買いに行ったり、YouTubeで調べたり、全曲聴いたりしましたね。中学3年生の頃、学校とかが嫌いでずっと家にいたんですけど、路上ライブをしたり、カラオケに行ったり、曲を聴いたり、歌ったりして過ごしてました。
──全然、充実してそうですね!学生時代って学校がすべてだと思いがちだけど、学校なくても充実できちゃってる(笑)
番匠谷紗衣:そうなんです。1人で音楽人生を歩んでいたんですけど、中学3年のときに自分には居場所がないみたいなそういう気持ちやったんですけど、尾崎豊さんの曲に出会って、「これでいいんや」って思えたり、すごい救われたきっかけやったんで。だから、尾崎豊さんを見て育っているっていうか、そういう自分は、ギターを弾き語るんやっていうのがもともと当たり前のようにあって。私は、おばあちゃんちにあったギターを練習し始めたんですけど。そのきっかけも、「誰かに歌を聴いてもらいたい」って思ったときに、自分で思いつくのが、「道で歌う」「外に出て歌う」しか思いつかなくて。アカペラで歌だけ歌うのはきついって思ったんです。
──アカペラで…。
番匠谷紗衣:「オケ流す」とかそういう発想がなかったんですよ。だから、「よし、ギター練習しよう」って思って練習し始めたのがきっかけでしたね。
──ちなみに、路上ライブの活動を始められたのは?
番匠谷紗衣:中学生になってからですね。
──じゃあ、小学生ぐらいのときからギターの練習を始めたんですか?
番匠谷紗衣:はい。
──小学校は通われていたんでしょうか。
番匠谷紗衣:小学校は行ってましたね、何とか…。
──何とか、か(笑)。学校が嫌いだったんですか?“行かなくてもいいや”って気持ちがあったとか。
番匠谷紗衣:めっちゃ嫌いでした。反抗期やし。元々は人のことをすごい知りたいと思うし、仲良くなりたいし、壁を作らずに話したいっていう思いは強かったです。だけど、色んなことに悩みながら落ち込んでいる自分とのギャップがどんどん開いていくうちに、上手く人と話されへんくなってきて。そういうのがありました。
──人が嫌いになった、人が怖くなったっていう感じですか?
番匠谷紗衣:ほんまそんな感じでした。
──全然、そんなふうには見えないですね。
番匠谷紗衣:ほんまですか?
──コミュ力高いし(笑)
番匠谷紗衣:コミュ力高い(笑)。そう。ちゃんと今、コミュ力高くなってきました。良かった。
──やっぱり路上に出て、路上で聴いてくれる人と喋ってみたいなところって大きいんですかね。
番匠谷紗衣:大きいと思います。ライブで音楽を通して出会った人って、私が歌に対してはすごい素でいれるから、ほんまに思っていることとかでも詰め込めるから。それを聴いて出会ってくださった方とかは、信用できる。同志やって思っているので。
──それ、いいですね。確かに。自分の超本心に共感して聴いてくれる人たちなんだからってことですもんね。
番匠谷紗衣:そうです。だから、そういう人との出会いとかで変わっていきました。
──番匠谷さんの曲は、イメージとか想像から生まれるのではなくて、自分の経験から生まれてくるような感じですか?
番匠谷紗衣:ほとんどそうですね。こういうイメージの曲を作りたいと思って、そういうのをたまに作ったりとかは全然しますけど、それも自分の中にあるものからできてますね。