自由に動き回る水銀のようなサウンド
ボブ・ディランの『One of Us Must Know (Sooner or Later)(スーナー・オア・レイター )』は、1966年5月にリリースされた彼の6枚目の2枚組アルバム、『Blonde on Blonde(ブロンド・オン・ブロンド)』の収録曲で最初にレコーディングされた曲。数カ国でシングルカットされた。
ディランの60年代初期のシングルに比べれば、大ヒットとまではいかなかったが、(全米23位)、『Like A Rolling Stone (ライク・ア・ローリングストーン)』や 『Positively 4th Street (寂しき四番街)』の続編のような、オルガンが効いたフォークロックサウンド。オルガンは前2曲と同様、アル・クーパーが弾いている。
当時のディランの言葉で言うと、「自由に動き回る水銀のようなサウンド」とディランの捻りが効いたラヴソングの幸福な融合。今回はこの魅力を、深堀してみた。
難解なダブルミーニングとは?
ディランの60年代初期の曲は、歌詞の中でダブルミーニングが多用され(難解なものも多かった)社会への異議申し立ての風刺も込められていた。
例えば、前者は63年の『The Times They Are A Changin(時代は変わる)』で「君の周りで 水かさが膨れ上がってるのが分かるだろう、泳ぎ始めた方がいい、さもなければ石のように沈んでしまう、時代は変わりつつあるんだ」と水かさと、60年代前半のアメリカの社会の閉塞感や国民の苛立ちを重ねあわせ、時代の雰囲気を見事に表現した。
また、後者は、ケネディや、キング牧師といった政界の要人が射殺される事件が相次いだ65年には、『It's Alright, Ma (I'm Only Bleeding)(イッツオールライトマ)』で「アメリカ大統領ですら裸で立たなくてはならない」と当時の世相を鋭く、一言で表現してしまった。
このような60年代初期の楽曲のうち、何曲かは、見事に世紀を超えるスタンダードナンバーにまで昇華され、ディランは一躍 アメリカのフォーク界を代表するプロテストシンガーの旗手として祭り上げられた。これが彼の1回目の黄金期だ。
ビート詩人たちからの詩作への影響
ディランは、66年のツアードキュメント映画『Don't Look Back (ドント・ルック・バック)』にも残されているように、後のザ・バンドとなる面々とのワールドツアーで、2回目の黄金期にさしかかっていたが、ステージでは、「商業音楽に堕落した」とブーイングを浴びせられもした。
この『One of Us Must Know (Sooner or Later)スーナー・オア・レイター 』という曲は、当時25歳のディランの、急激にスターダムに乗せられた、彷徨える心情や戸惑いをそのまま反映したような、辛辣な表現がヒリヒリと感じられるラブソングになっている。
65年頃から、主に歌詞の面で、ディランが十代の頃から、音楽と同じぐらい熱中していた、ビート詩人たち(ジャック・ケルアックやアレン・ギンズバーグら)の作品からの影響がより顕著になってきた。
彼らは50年代中頃からヒッピーをはじめとする若者達に熱狂的に支持され、現在のロック詩表現のパイオニア的存在であった。
具体的には人称代名詞を1つの物語の中で複雑に混在させて、一人称で語っているように読者に思わせながらも、複数の登場人物の視点をカメラをスイッチングするように取り入れる手法が詩作に取り入れられている。
カメラのスイッチングのような場面転換と鋭い比喩
この曲の主人公の男が語り手で、つきあっていた彼女から最後の別れを告げられた場面を回想の形をとって、男の心情と、すれ違う女の想いや、出来事を巧みに織り込みながら、話は進んでいく。
男の想いとは裏腹な出来事や、女の誤解、2人の気持ちがすれ違い、後戻りが利かなくなり、別れるまでが 1曲の中で語られていく。
幾つか例を挙げてみると、
One of Us Must Know (Sooner or Later)
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I couldn't see what you could show me
Your scarf had kept your mouth well hid
[日本語訳]
君のスカーフは君の口を上手に隠している
君がどうやって僕をわかったのか
僕にはわからなかった
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この曲は、全編を通して、2人のコミュニケーションの断絶を見事な比喩で表現しているが、特にこの場面は、ディランならではの鋭い比喩が光っている。
君=彼女が、ほかの女の子にも気持ちを奪われていた、僕の本心に、どうやって気がついたのか、彼女は彼に、その顛末を伝えなかった。まるで、彼から観ると、彼女がスカーフで自分の口を上手に隠しているように、と表現している。
2人の中がこじれた原因が彼女の口から明らかになる2番でも、
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When you whispered in my ear
And asked me if I was leavin' with you or her
I didn't realize just what I did hear
[日本語訳]
君が僕の耳に囁きながら
君とあの娘とどちらをとるのと訊いた時
僕は何を聞いていたのかわからなかった
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彼が、「彼女に悟られていない」と思い込んでいた、彼女以外に想いを寄せていた別の娘への浮気心を、ズバリ指摘されたことで、彼の混乱し、うろたえた心情がシンプルに表現されている。2人の別れの原因は、彼の浮気だった、ということになる。
そして男はサビで、
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But, sooner or later, one of us must know
You just did what you're supposed to do
Sooner or later, one of us must know
That I really did try to get close to you
[日本語訳]
遅かれ早かれ 僕たちどちらかは知る
君はただ期待された通りにやっていただけなんだと 遅かれ早かれ
僕たちどちらかは知る 僕が本気で君に近づこうとしていた事を
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と、終わった恋愛を感傷的に回想している。
2019年に振り返る、ディラン25歳の時の失恋とは
ディランは、今も世界中で、バンドを引き連れて、通称「ネヴァーエンディングツアー」というライヴツアーを30数年にわたって続けているが、この曲が、ディラン自身のツアーの演奏曲目のレギュラーになったことは、78年ツアーの一時期しかない。
同年2月の初来日公演を収録したライヴアルバム、「武道館」にも、当時のツアーバンドとの演奏が収録されている。
25歳の時の失恋の曲を、50年経った現在ディランは、どう歌うのだろうか?
77歳のディランの気分をアレンジに込めた2019年バージョンの この曲を、いつか聴かせてもらいたいものだ。
TEXT BlindboyT