その「手紙」は地下鉄の広告に書かれていた
その曲の存在は意外にも音ではなく、文字として突然あらわれた。
METORO SONGS(メトロソングス)という、FMラジオ局のJ—WAVEとantennaが主催したプロジェクトの一環でこの曲が選ばれ、中吊り広告となった事で出会ったのだ。広告には、こう書かれていた。
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さよならさえも言えずに時は過ぎるけど
夢と紡いだ音は忘れはしないよ
もう何年も切れたままになった弦を
張り替えたら君ともまた歌えそうな夕暮れ
≪手紙 歌詞より抜粋≫
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この文字(歌詞)の後に続いて書き記されていた言葉は、“その歌は、わたしを歌っていた”だった。
すぐさま誰の曲なのかが気になった。“わたしを歌っていた”という言葉を使って、その曲の素晴らしさを伝えるというのは、凄い事だと思ったからだ。それは多くの人が、この歌詞に“共感し感動した”という証だから。広告をよく見ると、左上に書かれていたのはフジファブリック『手紙』。
この一節は、一緒に夢を追いかけた大事な人と、何かの事情によって距離が出来てしまった事を切なく愛おしく思っている。
人は“別れ”を繰り返しながら生きているのだ。その別れの形は様々だとしても。別れは必ず時と共に、懐かしさとそれがここには無い実感という少しの痛みを伴いながら、愛おしさとなって胸を去来するのだ。
この事は、人に必ず当てはまる事実なのだ。現にこうしてフジファブリックによって歌われ、車内の広告を偶然見かけた私だって感銘を受けたのだから。
何もかもがある街に住んで、僕がなくしたもの
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上手くいかない時は 君ならどうする
弱いぼくらは 一体どうする
百万回も生きた 猫のように
大切な人と 寄り添ってたいのさ
何もかもがある街に住んで 一体何をなくしたんだろう
何もない部屋でひとりきり 情けない僕は涙こぼしてた
≪手紙 歌詞より抜粋≫
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『手紙』の歌い出しには「思えば遠くふるさとの人たち」とある。「何もかもある街」は、歌詞から考えると東京の事。しかし、物質的な事だけでなく、心の豊かさも表現している。
ふるさとから、飛び出すように上京したのだろう。月日は流れ、仕事も起動に乗り、生活も安定した。たまには「上手くいかない時」もあるが「寄り添っていたい」と呼べる「大切な人」との出会いもあった。
側から見れば、順風満帆だ。しかし、本人にはふるさとに置いてきたものがある。それは、東京で出会った「大切な人」を超えた“特別な存在”だ。
その存在は、親や友達だけじゃない。人と触れ合う中で見つけ育てた、夢や愛。そして、それらを色付いたそのままで留めた想い出だ。思い返せば、まるでそこに居て触れているかのように暖かい笑顔。そして、会話を交わしてしまいそうな程に優しい声。
「なくした」ものは、その想い出たちと続くはずだった“未来”だ。
あの猫が100万回生きた意味
ところで「100万回生きたねこ」という絵本をご存知だろうか。
そのタイトル通り、主人公の猫が100万回生きて様々な飼い主と出会い死に別れていく。死に別れる度に飼い主は悲しむが、当の猫は全く悲しまない。何故なら、猫は飼い主の事が大嫌いだったから。
そんな自分の事だけを好きな猫は、飼い主のいない人生を送る事になる。その人生で出会った白猫に恋をし、努力の末にやがて白猫の心を射止め家族を持ち、幸せな人生を送る。
しかし、白猫に寿命が訪れる。動かなくなった白猫を想い、主人公の猫は昼夜構わず泣き続けた。そして猫はとうとう泣き止んだ。自分の寿命の訪れと共に。そして、猫は二度と生き返らなかった。
この絵本が伝えたい事というのは、愛されるばかりで自分以外を愛し大切にしない人生は、この世に生を受けた意味を見出せていない。という事だと思う。
少し強めの言葉になるかもしれないが、生を受けたのなら愛し愛される幸せを知る事が生きる意味だ。
だから、主人公の猫は白猫を愛し生きる意味を知り、神様から人生の“やり直し”をさせられる事はなかったのだろう。
フジファブリックの『手紙』の中にも、この絵本を連想させる歌詞がある。前記している「百万回も生きた猫のように」だ。絵本とは違い、現実は愛を知らないままでも、生きる意味や幸せを見出せなかったとしても。
私たちは人生の終わりを迎えれば、生き返る事はない。人生を“やり直す”事は出来ないのだ。だからこそフジファブリックの『手紙』は、こう歌う。
彼らにしか出来ない伝え方は、書くより歌って聴かせる『手紙』
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さよならだけが人生だったとしても
きらめく夏の空に君を探しては
ただ話したいことが溢れ出て来ます
離れた街でも大事な友を見つけたよ
じゃれながら笑いながらも同じ夢追いかけて
旅路はこれからもずっと続きそうな夕暮れ
≪手紙 歌詞より抜粋≫
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人生は必ず終わるのだ。その中で、出会った分の終わりと別れを繰り返す。あの猫は100万回生きられたけれど、私たちは一度きりしか生きられない。
だから、後悔と共に“今”を生きていいのだ。“無くした”のでも“亡くした”ものでも、その中にある、愛し愛されたという事実さえ忘れずに生きていけば良い。
生きるからこそ、何度だって後悔していい。後悔しながら、生きて後悔を未来に連れて行けばいいのだ。そうすれば、後悔は自分の中で生き返り生き続け、やり直す事が出来る。やがて後悔は、愛する人と夢を追う旅路=幸せな人生へと変わるのだ。
「なくした」事で止まってしまった想い。それはフジファブリックが『手紙』を歌うように、自分にしか出来ないやり方で自分らしく想いを伝える事が大切なのだ。
地下鉄のたった一枚の広告に書かれた『手紙』は、何千もの人の心を揺らし潤しただろう。そして、きっと沢山の人が『手紙』を聴いたはずだ。その人たちが、フジファブリックの出会った哀しみから、続いて来た喜びにも触れてくれたら良いなと思う。
哀しみから続いた喜びに触れた後に聴く『手紙』はきっと、「さよならだけが人生だったとしても」そのさよならを優しく強く支えてくれる。そして「もう何年も切れたままになった弦を」張り替える気持ちをくれるだろう。
その気持ちは、幸せな人生には無くてはならない気持ちだ。
TEXT 後藤かなこ