優しい気持ちになりたいときにコブクロを聴く
遠い場所にいて、すぐには会えない大切な人を想うときに、コブクロを聴くと、温かい気持ちが、言葉にできなくても伝わっていくような気がします。また、疲れて「自分の気持ちが荒んでいるな」と感じるときにもコブクロの歌を聴くと、なんだか、気持ちが浄化されるような気がして、癒されるのです。
いつしかコブクロの歌は、私の生活にとって、なくてはならない物となりました。私のみならず、コブクロの歌を生活の必需品にしている人はたくさんいますよね。
コブクロの歌は、何故こんなにも聴く人の心を惹きつけるのでしょうか。
名曲「そばにいれるなら」を聴いて考えてみました。
闘わず、全てを受け入れる人の強さ
----------------
出会うのが遅すぎたんだね 違う場所で違う恋を
そして今 君に恋をした でも今は彼のものだけれど
≪そばにいれるなら 歌詞より抜粋≫
----------------
「僕」の愛した人には「彼」がいました。残念ながら、よくあるシチュエーションです。
愛する人に愛されなかったときに、どうするか?ここから、見返りを求めない「美しすぎるコブクロ・ワールド」が展開されます。
----------------
好きな人に好きと 気持ちのまま 大きな声で
伝えるのが こわいなんて おくびょうだね
だけど僕にしか出来ぬこともある
≪そばにいれるなら 歌詞より抜粋≫
----------------
好きな人に想いを伝えることが出来ないのは、今の関係を壊してしまうのを恐れる気持ちもあるでしょう。でも、「僕」が最も恐れているのは、自分の気持ちを伝えることによって、好きな人の心を乱してしまうことではないでしょうか?
自分のことで悩んで欲しくない。いつも笑っていて欲しい。相手の幸せを何よりも大切にする「僕」なりの愛情。この無償の愛の美しさが、聴く人の心を大きく動かしていきます。
好きになった人にカレシがいるときに、カレシと闘う人もたくさんいます。「君」は結婚しているわけではない。だから、自分の誰よりも深い愛を「君」に伝えて、カレシから「君」を奪ってしまおう。自分が誰よりも「君」を幸せにできれば、それでよいのではないか、という理屈です。
でも、コブクロ・ワールドではそれをしない。コブクロ・ワールドの「僕」が闘う相手は自分自身です。好きな人にカレシがいて、二人が楽しそうにしているところを思わず想像して苦しむ自分と闘っている。
カレシと闘わないことによって、カレシが傷つくことも避けている。「僕」は、誰のことも傷つけたくないのかもしれませんね。
そんな「僕」の優しさと、自分以外の誰かとは決して闘わず、全てを受け入れる強さがあるからこそ、「僕にしかできないこと」を見つけることができたのでしょう。
----------------
あなたの心の真横に居るのは
いつでも僕であってほしい
他の誰かじゃ埋められない場所
僕は ちゃんと持ってるから
≪そばにいれるなら 歌詞より抜粋≫
----------------
好きな人の真横にいて、共に歩いていきたいと願いながら、「僕」は決して強引な態度を取ろうとはしていませんね。
「僕」は「君」のありのままを愛していて、「僕のことを愛する君」に無理やり変えてしまおうとは思っていません。「君」の「カレシを好きな気持ち」も含めた全てを受け入れ、愛しています。
自分のことを愛してくれる彼女を大切にすることは、誰にでもできますよね。でも、コブクロ・ワールドの凄いところは、「カレシを愛している君」を大切にできるところ。
それができるからこそ、「他の誰かじゃ埋められない場所」を持つことができています。
「僕」は「君」の唯一無二の存在になっています、カレシではないのに。
二人は「彼氏彼女」の関係を超えて、無償の愛で結ばれているのでしょうね。
なぜコブクロは無償の愛を歌えるのか?
コブクロの二人はルックスも良く、音楽活動を通しても、真面目で誠実な人柄が伝わってきます。そして、コブクロの楽曲は情緒的でロマンティックなメロディラインを持ち(メロディラインをなぞるだけで泣けてきます)、時に優しく、時に力強いアコースティックギターが「コブクロの世界観」を盛り上げています。
それぞれが美しい歌声を持ち、それがハモったときの美しさは、一度聴いたら忘れられず、何度も何度も聴きたくなります。
つまり、二人は外見も良ければ人柄も良く、更にたぐいまれな音楽的才能も持ち合わせている。
モテ要素満載ですよね。
あの二人なら、たくさんの恋愛を経験し、様々なタイプの恋愛を歌っていても、おかしくはありません。
でも、二人はいつも「無償の愛」を歌います。「恋のかけひき」を歌っているコブクロなんて想像もできませんよね。
恋人同士で「無償の愛」を成立させることは難しい。それなのに、何故コブクロの愛は「無償の愛」なのでしょうか。
その答えを知りたくて、コブクロについて調べてみました。
コブクロは本当は3人いた?コブクロ3人目のメンバー
答えはコブクロのオフィシャルサイトに載っているコブクロの所属事務所「ミノスケ オフィスコブクロ」の坂田美之助社長のインタビューの中にありました。1998年の12月、ゲーム関係の会社を経営していた坂田社長は、会合の帰りに大阪・心斎橋でストリートミュージシャンをしていたコブクロの歌を聴きます。たまたま、通りかかったのです。
そして、普段はストリートミュージシャンの音楽に全く興味がなく、その時も一度はコブクロの前を通り過ぎたのに、引き返してコブクロの「桜」を聴きます。
「桜」に心を奪われた坂田社長は二人を応援することに決め、数百万とも数千万ともいわれるお金を投じて、3人で活動を始めます。
機材を買ってインディーズのCDを作り、自分の車に二人を乗せてライブ会場を回る。その車は1年で8万キロを走って潰れてしまったそうです。
インタビューからは、コブクロの二人を我が子のように想う坂田社長の無償の愛が伝わってきます。まさにコブクロの世界観そのものです。
コブクロと坂田社長は魂でつながっている親子なのですね。
事業(会社経営)を一生懸命やっている坂田社長と、音楽を一生懸命やっているコブクロの二人。同じ「一生懸命さ」を持っているからこそ、分かり合えた3人の結びつきは固い。
これが「コブクロは、本当は(坂田社長を含めた)3人だ」とか、「坂田社長はコブクロの3人目のメンバーだ」と言われる所以(ゆえん)ですね。
このような無償の愛情を注がれ続けたコブクロが、無償の愛を歌うのは自然なことなのかもしれません。
所属事務所社長の生年月日に秘められた「運命」
オフィシャルサイトの記事は、坂田社長のインタビューを載せた後、唐突に社長の生年月日を紹介しています。「えっ?今の話と社長の生年月日にどんな関係があるの⁇」と、いぶかしく思いながら次の行を読んだ瞬間に、驚きと感動で鳥肌がたちました。
坂田社長の生年月日は昭和29年5月6日。数字を入れ替えると「5(コ)2(ブ)9(ク)6(ロ)」。
3人は運命でも結ばれた関係だったのですね。
コブクロは究極の愛を歌う
無償の愛は、愛をきわめていった到達点にあるもの。たどり着ける人の少ない、究極の愛ですよね。愛する人に愛されなかったときに、どうするか?
コブクロの答えは、無償の愛を注ぎ、自分ならではの役割を持って、彼女の役に立っていく。そうすることで、彼女を守り、幸せにしていく。きっと、そうなのでしょう。
そして、それが、彼女に関わる全ての人を幸せにしていく処方箋である。コブクロは、そう考えている気がしてなりません。
「そばにいれるなら」。究極の愛を歌ったラブソングを、ぜひ、もう一度聴いてみてくださいね。
TEXT 三田綾子