「ありがとう」という言葉の持つ力
『ありがとさん』は、「見っけ」の三曲目に収録されています。「ありがとう」という言葉は、とてもシンプルに感謝を伝えられるのに、気恥ずかしくて、普段はなかなか口にすることができない言葉でもあります。
そんな、ありきたりで分かりやすい言葉ながら、人の心に深く刺さる言葉だからこそ、「ありがとう」というタイトルの楽曲は多く世の中に生み出されてきました。
スピッツの『ありがとさん』は、少し砕けて、距離の近い雰囲気があります。底に込められた意味は何なのか、少しずつ読み解いてきましょう。
「君」がいることが、何より幸せだった日々
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君と過ごした日々は やや短いかもしれないが
どんなに美しい宝より 貴いと言える
お揃いの大きいマグで 薄い紅茶を飲みながら
似たようで違う夢の話 ぶつけ合ったね
≪ありがとさん 歌詞より抜粋≫
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歌い出しの部分では、「君と過ごした日々」が、すでに過去のものになっています。回想から始まることで、人生の終わりや、大切な人との別れを彷彿させます。
決して長くはなかった共同生活。しかしそれは、お金や宝石など、この世の中で、どんなに高価なものよりも貴かったのです。思い出されるのは「お揃いの大きいマグ」や、「薄い紅茶」など、質素で庶民的なものばかり。
それでも、少し薄い紅茶を二人で飲みながら交わす言葉や、他愛ない会話が、何よりも大切な宝物になっています。きっとこの歌の主人公にとって、何より大切なのは「君」と一緒であることだったのです。
お揃いのマグで飲むのも、夢の話をするのも、「君」とだから楽しかったのでしょう。紅茶の味など気にもならないくらい、生活の中心にはいつも「君」がいたのです。
思いがけない別れ
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あれもこれも 二人で 見ようって思ってた
こんなに早く サヨナラ まだ寒いけど
ホロリ涙には含まれていないもの
せめて声にして投げるよ ありがとさん
≪ありがとさん 歌詞より抜粋≫
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しかし、別れは思っていたよりずっと早く訪れました。主人公は、心の準備もできていなかったことでしょう。突然のサヨナラに、戸惑う姿が目に浮かびます。
いつか二人でやろうと思っていたことが、何も果たせないまま、別れの時がやってきてしまいました。やるせない気持ち、後悔の念、あらゆる思いが駆け巡ったことでしょう。
普段は気恥ずかしくて言えないけれど、最後くらいちゃんと届けたい「ありがとう」という思い。「ありがとう」ではなく、「ありがとさん」というところに、二人の空気感や温かい関係が見て取れます。
サヨナラしたのは、誰?
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謎の不機嫌 それすら 今は愛しく
顧みれば 愚かで 恥ずかしいけど
いつか常識的な形を失ったら
そん時は化けてでも届けよう ありがとさん
ホロリ涙には含まれていないもの
せめて声にして投げるよ ありがとさん
君と過ごした日々は やや短いかもしれないが
どんなに美しい宝より 貴いと言える
≪ありがとさん 歌詞より抜粋≫
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「君」との時間を振り返る主人公は果たして、現世に一人で残されるのか、それとも「君」を残して先に行くのか、定かではありません。しかし、「謎の不機嫌」「化けてでも届けよう」という言葉から、先立つのは主人公かもしれません。
どういった経緯でこの世を去るのか分かりませんが、弱っていく自分を見て、別れの時が近づいていることを察して、「君」が不機嫌になったのなら、それは悲しみの裏返しです。寂しい気持ちや辛い気持ちを隠して、そんな態度を取ってしまったのかもしれません。
別れが近づいている時に、不機嫌さで空気を乱したり、ぶつかったり。そんなこんなで、残り少ない時を無駄に過ごしたことを「愚か」だったと、今は愛おしく思い返しているのです。
短いけれど、愛ある言葉
ただ、何気なく過ごした日々が幸せだったこと、ケンカもしたけれど、「君」と一緒で何より嬉しかったこと。それを言える最後の機会だから、気恥ずかしさをこらえて「ありがとさん」と、この世で一番短く、シンプルで、愛しい言葉を残したのです。
本当に大切な人と出会えた人間にしか言えない、この上なく愛の詰まった言葉です。歌詞はとても少なく、シンプルなのに、まるで一篇の映画を見ているような、重厚で心温まる歌の世界が広がっています。
聴き終わったあとには、大切な誰かに思わず「ありがとう」を伝えたくなる、切なくも温かい「ありがとさん」。普段なかなか素直になれない人ほど、聴いて欲しい名曲です。
TEXT 岡野ケイ
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