バルセロナオリンピックをプレイバック!
1992年、スペインはバルセロナで開催された夏のオリンピック、バルセロナオリンピックは、一言で言えばとても華やかな大会でした。
日本からは「YAWARAちゃん」のニックネームで知られた女子柔道の田村亮子、爽やかな笑顔が印象的な女子マラソンの有森裕子が銀メダルを獲得します。
さらに、女子平泳ぎの岩崎恭子が14歳の若さで金メダルに輝き、レース後、まだあどけない少女が放った「今まで生きてきた中で一番幸せ」というコメントがセンセーションを巻き起こしました。
海外では、陸上競技のカール・ルイス、バスケットボール男子のアメリカ代表 「ドリームチーム」ら、綺羅星のようなスーパースターたちが余裕の金メダルを獲得して大会を盛り上げます。
また、ガウディ、ダリ、ミロなどを輩出した芸術都市バルセロナが総力を上げて取り組んだセレモニーは、かつてない芸術性の高い演出となりました。
音楽面ではテノール歌手ホセ・カレーラスを中心に大物オペラ歌手が集結。日本の坂本龍一も作曲と指揮で参加します。
また、開会式で歌う事が叶わなかったフレディ・マーキュリーによるテーマ曲、「バルセロナ」も大きな感動を呼びました。
そして、アーチェリー選手が弓矢で聖火台に点火する演出は、神話のような美しさで世界を魅了。
バルセロナオリンピックは、競技、演出の両面で、歴史に残るハイクオリティな大会となったのです。
夏に咲かない「リラ」に秘められた意味
バルセロナオリンピックのJOC公式応援ソングとして起用された光GENJIの『リラの咲くころバルセロナへ』は、華やかなバルセロナオリンピックに相応しく、人気絶頂だった光GENJIの魅力に溢れた曲でした。
----------------
君は夏のマタドール
光る風をあびながら
(夢の)空に舞う
≪リラの咲く頃バルセロナへ 歌詞より抜粋≫
----------------
オリンピックを連想させる華々しいファンファーレでこの曲は幕を開けます。
「マタドール」とは、闘牛と戦うスペインの闘牛士。オリンピック選手の姿を闘牛士に重ね、翻った赤い布の向こうにスペインの夏の青空を連想させる歌詞です。
----------------
あふれそうな涙とひとりで
いつも戦っていた君
Ah 遠くから心配してたよ
≪リラの咲く頃バルセロナへ 歌詞より抜粋≫
----------------
華麗な衣装と軽やかな動きで巧みに牛をあしらい、喝采を浴びる闘牛士たち。
しかし、闘牛と一対一で渡り合う事は、一瞬たりとも気の抜けない命がけの真剣勝負です。闘牛士たちは、華やかな表舞台に立つまでに、何年も厳しい訓練を受けなければなりません。
そんな闘牛士と同じように、スポーツ選手たちも何年も前からトレーニングを重ね、4年に1度の舞台を目指します。
その道のりは、他の誰とでもない、自分自身との孤独な闘いです。
----------------
光れ夏のマタドール
自分の勇気
信じた人が虹をかける
≪リラの咲く頃バルセロナへ 歌詞より抜粋≫
----------------
オリンピック出場を目指す選手ともなると、実力は拮抗しています。そこで勝敗を分けるのはメンタルの強さ。
孤独な訓練を乗り越え、自分を信じて、冷静に、普段通りの実力を発揮できた選手だけが、オリンピックへの切符をその手に掴み取ります。
----------------
君が僕を呼んでいる
(遠い)その町に行こう
≪リラの咲く頃バルセロナへ 歌詞より抜粋≫
----------------
晴れて五輪への切符を手に入れた選手たちは、自分自身がオリンピアンになると同時に、ファンをオリンピックへと連れて行ってくれます。
彼らがかけた虹を渡って、世界中の人々がオリンピックの夢を見る事が出来るのです。
ライラックの花言葉に答えが…
----------------
リラの咲くころバルセロナへ
≪リラの咲く頃バルセロナへ 歌詞より抜粋≫
----------------
1992年、オリンピック選手たちがかけた虹は、スペインのバルセロナへと続いていました。
そのバルセロナオリンピックの公式応援ソングとなったこの曲を聴いて「リラ」を漠然とスペインの花だと思った人は多いはずです。
そして、その花は、オリンピックが開催される夏に咲くに違いない、と。
しかし、フランス語でリラ(Lilas)、英語でライラック(Lilac)、日本名でムラサキハシドイ(紫丁香花)と呼ばれるこの花の原産国はアフガニスタン。
開花時期は春から初夏で、北海道の「ライラックまつり」で知られるように、涼しい気候を好む植物なのです。
実は南国が苦手だった「リラ」。なぜこの花が、陽光眩しい真夏のスペインで開催されるオリンピックの応援ソングのテーマとして描かれたのでしょうか。
その答えは、ライラックの花言葉にありました。
ライラックの花言葉は、「友情」「初恋」「思い出」「無邪気」「若さ」など。これらの言葉から連想されるもの、それは「青春」です。
ライラックの花は「青春のシンボル」だったのです。
若者の祭典オリンピックは、青春の象徴です。そこでは、競技を通じて友情や、恋、そして思い出が生まれます。
しかも4年に1度しか訪れないオリンピックに出場できる選手は、ほんのわずかしかいません。
「リラの咲くころ」は、選手たちが青春ど真ん中に、その能力がピークを迎える瞬間を意味していたのです。
----------------
いつもそばにいるよ
君が僕を呼んでいる
(遠い)その町で逢おう
≪リラの咲く頃バルセロナへ 歌詞より抜粋≫
----------------
光GENJIは、JOCよりオリンピック広報アドバイザーに任命され、「リラの咲くころバルセロナへ」も大ヒットします。
ライラックの花のように、青春のシンボルだった光GENJIが歌ったこの曲が、スポーツにあまり関心のなかった人々の心をオリンピックに惹きつけ、日本選手団への大きなエールとなったのです。
「リラの花」トリビア
ロシアの作曲家ラフマニノフの曲に「リラの花」という作品があるように、古くから音楽のテーマとして扱われていた「リラの花」。
1928年には、ドイツの作曲家フランツ・デーレによって作られた劇中歌『再び白いライラックが咲いたら』がヒットし、その後、多くの歌手によって歌われます。
その中で、フランスでシャンソンとして流行した『リラの花咲くころ』を原曲として、日本の宝塚歌劇団のテーマ曲『すみれの花咲く頃』が誕生しました。
香水にもなるかぐかわしい香りと上品な薄紫色の「リラの花」は、今も昔も、美しくはかないものの象徴として愛されているのですね。
TEXT 岡倉綾子