SUPER BEAVERが見つけた突破口
──新曲の「突破口」については心を鼓舞するような疾走感あるナンバーで、「目の前に壁があろうとも、正面からぶつかっていこう」といった力強いメッセージが込められています。SUPER BEAVERの現状に重なる歌詞が多いと感じましたが、この曲のできた背景を教えてください。柳沢亮太:今回の楽曲はメジャー再契約というタイミングももちろんあったんですけれど、もともと曲作りをしている中で、『ハイキュー!! TO THE TOP』というTVアニメの第2クール オープニングテーマというお話もいただき、そちらとのリンクも考えながら作った楽曲です。今年に入ってから形になったので、まさに今の SUPER BEAVERの気持ちが詰め込まれた1曲になっていると思います。
──主題歌ということで、物語の部分とはどんなところをリンクさせましたか?
柳沢亮太:『ハイキュー!! TO THE TOP』という作品が学生のスポーツを描いていて、「今、この瞬間にかける想い」といったところは、自分たちの今のスタンスともすごくリンクする部分なのかな、と。「今」に対する執着といったものを、一番のリンク点として考えましたね。
──『ハイキュー!! TO THE TOP』が10代後半の青春を描いている物語であることに関連してお伺いしたいのですが、15年前の学生時代に皆さんが出会った時と今、どんなところが大きく変わったと思われますか?
上杉研太:ずっと一緒にいながら15年くらい経っていると、自分以外の3人に対して、つねに最新にアップデートされていると思うんです。でもちょっと違う昔の3人を断片的に覚えているから、何か少し不思議な感じはします。
藤原”32才”広明:僕からすると、みんな出会ったころとは、まったく違う人ですね。バンドだと「ギタリストっぽい人」とか、「ベーシストっぽい人」、「ボーカリストっぽい人」とかいるじゃないですか。僕らは最初、まったくそんな感じではなかったんですよ。でもちょっとずつ、そういう方向になっていったというか。自分も今は「ドラマーっぽいやつだな」と思いますし。みんなそれぞれのポジションになった感じがあって、いい意味で役割というか、行きたいところに行っていると思います。
柳沢亮太:藤原が言ったことは腑に落ちますね。10代で始めたころのことを考えると、15年先の今を見据えて結成したわけでもないので、バンドをやることに対してそんなに深い意味はなかったんです。でもがむしゃらにやってきて、その楽しかったことの延長線上に初めてCDを出したり、初めてのツアーがあったりした。ちょうど10代の終わりから、20代目一杯をこの SUPER BEAVERというバンドで少しずつ歩んできたので。バンドとしての成長とともに、人間としても、いろいろなことを学ばせてもらったと思います。
そういった中で、それぞれのバンドとしての役割のようなものも、当初に比べたら自覚を持つ部分は増えてきたのかなと思うので。生まれ持った性格はそんなに変わらないとは思いますけれど、その中での「自分の輝かせ方」みたいなものは、それぞれが考えてバンドというところに集約されるようになってきたのかな、と思います。
──メンバーの本質的な部分は変わらないけれど、バンドを続けていったことによって、それぞれ自分たちが思い描いていた方向に行くことができた、と。
渋谷龍太:それは時間の捉え方だと思うんです。同じことを続けている人が2人いたとして、1人は何かを意識しながら過ごしている15年、もう1人はただ流れにのっている15年だとしたら、15年後の姿はおそらくまったく違うと思いますし、何を考えて、どういうふうに自覚を持ちながら時間を過ごしてきたのかは、15年経つと結構出ますよね。
同級生としゃべっても、何も感じないヤツもいれば、すごいなと思うヤツもいるし。同じバンドマンでもそうですね。しゃべっていて何も感じないヤツもいれば、尊敬できる友だちもいる。明らかに後者の方が少ないんですけど、それは仕方ないと思うんです。でも自分が選んで過ごしてきた時間に自覚があるので、今の自分に、今の自分たちに、自信が持てている、という感じもしていますね。
──「突破口」の<やめてしまえば 叶わないから>という詞に象徴されるように、続けることでつかめる未来、については、SUPER BEAVERの皆さんがまさに体現されているのですが、やはりものごとを継続するというのは難しいと思うんです。
渋谷さんが書き下ろした小説「都会のラクダ」(バンド結成から15周年を迎える現在にいたるまでの軌跡を描いている)の中でも、2011年に渋谷さんが「音楽を辞めたい」とメンバーに伝えてSUPER BEAVERがいったんメジャーレーベルとお別れした時、4人で音楽を続けたいから、「その為に今は逃げましょう。ちゃんと四人で。」と書かれていますよね。あの時、無理に進まずにちゃんと逃げようという判断ができたことが大きかったのだなあと思いました。
渋谷龍太:一概に言うのは難しいですけれど、どんなものでも、常に辞められる状況にいることを自覚するのは大事な気がしています。たとえばどんな堅い仕事についていようが、バンドマンだろうが、フリーターだろうが、重役だろうが、辞めることは多分、可能であり、辞められない状況というのは、ほぼありえないと思うので。常に辞められる状況に自分が置かれていることを自覚しつつ、「辞められるのに、なぜ辞めないのか?」を考えると、物事の本質が少し見えてくる瞬間がある気がしています。
なので逃げるという選択も、「何のために逃げるのか?」という部分が見えていると、選択しやすいんじゃないかな。「自分が今から起こそうとしている行動は、どこに結びついているものなのか?」を考えられると、おそらく多角的に物事を考えられるようになのかな、と思いますね。
──「続けるためにやめる」という、問題の渦中にいる時には気づきにくいことだけど、渋谷さんは多角的に考えられるからそう判断されたんだろうな、と思いました。
渋谷龍太:でも読んでくださった小説の中の当時は、正直、そこまでは見えてないですね。「どうすればこの現状を打破できて、自分を守っていられるか? バンドを守っていられるか?」ということだけでした。もう1回、今の心境のままあの時に戻ったら、タイミングなどいろいろ考えられて、たぶんまた別の選択肢もあったと思うし。
──そうだったのですね。では、メンバーの皆さんは当時どういう心境だったでしょうか? 小説は渋谷さんの視点からでしたが、渋谷さんが「音楽を辞めたい」と語った時に感じたことを教えていただけますか? そして、なぜ衝動的に「やめる」という方向に行かなかったのだと思われますか?
柳沢亮太:これはまずバンドという大前提の枠組みがあっての中での話なんですけれど、挫折を味わっている感覚は何も彼だけでなく、ある意味では隣で共有していて。見ている視点はメンバーそれぞれちょっとずつ違ったとは思うんですけれど、それが言うなればバンドであることの醍醐味の一つではあったのかな、と。一人がもし突発的に衝動に駆られたとしても、皆が同じ衝動で、「じゃあ、もう終わりにしちゃおう」と思わなかったというのは、バンド、言うなればグループやチームという集団であることの一つの利点でもあると思うし。
おのおの胸に抱えていて言葉にならなかった部分が、大きなきっかけで渋谷の言葉になり、それを受け止めた時に、気づいていたのにうやむやにしていた部分が露呈して。そこでお互いが歩み寄ろうとしたのが、一番大きな要因かな。歩み寄ったことによって、「もう少しだけ4人で頑張ってみないか」という答えに、その時はなれたということなのかなと思っています。だから当時を振り返ってみると、渋谷を必死で止めたというよりも、本当に、しっかり、ゆっくり会話をした、という印象がありますね。
藤原”32才”広明:柳沢が言ったように、当時は「絶対やろうぜ」みたいな感じはなかったんです。けれど「やめたい」、つまり「嫌だ」という気持ちをしばらく聞いてなかったから、この機会にそれをちゃんとみんなで聞くというか。「そうだよね」と話していったら、彼が嫌だということは、当たり前だけど自分も嫌なことだったし、そういうことを確認し合えた。僕が先に言えばよかったことだったかもしれないし、違う誰かが勇気を出して言えばいい言葉だったかもしれない。それでやっと自分たちが一緒のところになったというか。
4人で始めたものを辞めるのも続けるのも、今、4人で決めること、という思考が4人の中で抜け落ちていたんです。まだ何もやれていない気分だったので、自然とそれをやってからやめるならやめる、続けるなら続ける、でもいいのかな、という感じの話になっていったのは覚えています。
──「やめたい」という気持ちを出すのは、すごく勇気がいりますよね。人間関係もぐちゃぐちゃになってしまいますし。でもそこで吐き出せたことが、結果的に次につながっていったんですね。
柳沢亮太:それはあると思いますね。
上杉研太:当時、じゃあ今後どうするのかといろいろ考えた時に、「でも、なんでそんなことを考えなきゃいけなくなっているんだ? まず、そうなることがおかしいでしょう?」と思ったんです。4人でワクワクして楽しいと思ってスタートしたことが、気づけばこういうことになってしまった。この状況はおかしいから、とりあえずみんなでいったんここから離れてみようと。そこから今に至っていくのですが、結局、何が一番ポジティブかというと、「やっぱり4人でまたやりたいよね」ということだったんです。
──確かに混沌の中にいる時というのは、散らかった部屋のような感じで、何が大事で、何が不必要なのか、それすらも整理できていない状態ですよね。
柳沢亮太:多分、ある一点しか見えてなかったと思います(苦笑)。
──4人の中でぶつかってみたからこそ、ある意味、突破口が見えてきた。
柳沢亮太:それが突破口であったことに気づけたというのは、そこからしばらく時間が経ってからです。全てを投げ出さないために、何をやめるか、何を止めるか。その時、そういった選択を初めてしたんだと思うんです。それは簡単なことではなかったですし、それなりに勇気のいったことだけれど、少しずつ時間が経って、俯瞰で見えている範囲が広くなってくると、やっぱりもっと大きな意味で、何かをやめないために、やめることがあったいうか。
広く見ると、やっぱり続けていくため。シンプルに言うと、4人が友だちであり続けるためのものに近かったような気もします。そういったものは、ずっと繋がってきているものなのかな、と。それがなければどこかで途切れてしまって、間違いなく15年という年月にはならなかったと思うんです。
SUPER BEAVER(スーパービーバー)。 渋谷龍太(Vo)、柳沢亮太(G)、上杉研太(B)、藤原“35才”広明(Dr)の4人によって2005年に東京で結成された。 2009年6月にEPICレコードジャパンよりシングル「深呼吸」でメジャーデビュー。 2011年に活動の場をメジャーからインディーズへと移し、···