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【インタビュー】夜韻-Yoin-。癒しの歌声が眠れぬ夜を救う (1/2)

男女3人組のユニットの夜韻-Yoin-(よみ=よいん)が8月5日に、メジャーデビュー配信シングル『Seafloor』をリリースした。作詞・作曲を手掛けるあれくんは、「ばーか。」という曲でTikTokで知名度を上げたシンガーソングライター。そのあれくんが「自分のアルバムを作った時、いろいろな人に声をかけて一緒にやってもらったんですけど、2人がすごく良かったんで、僕から声をかけて」結成された。1人はオルタネィティヴロックバンドMAKE OWN LIFEのギタリストとしても活動する涼真(G, Composer)。もう1人は、音大出身のピアニスト岩村美咲(Piano)である。音楽を“イメージで共有”する3人が作り出すサウンドは、無重力にも似たような自由さと、闇に落ちそうになる心に寄り添う優しさを備えている。デビュー配信シングル『Seafloor』について、それぞれの役割について話を聞いた。

100点中の3点


──まずは、それぞれ、音楽を始めたきっかけは?

あれくん:高校に入ってからですね。モテたくて、友達に誘われて軽音部に入ったんですよ。僕、最初はボーカル志望だったんですけど、でもその軽音部は、入部にオーディションがあったんです。先輩がいる前で歌わされて。そこで点数をつけられたんですよね。で、3点だったんです。


──満点は?

あれくん:100点です。


──え!

あれくん:100点中の3点。

──ちなみに、その時、何歌ったんですか?

あれくん:『千本桜』です。

(一同爆笑)

涼真:そりゃ無理ですよ!(笑)

美咲:大変そう(笑)。

あれくん:それで3点とって、心もボロボロに……(笑)。


──それ……選曲ミスも大きかったと思いますよ。

あれくん:(笑)。自分では、カラオケで歌っていけてるなと思ったんで、その曲にしたんですよね。でも3点だったから。そこから「ボーカルは自分には無理かな」と思ったんです。それで、ギターを買ってたんですよね。音楽やるならギターをやろう、と。ただ、軽音部に入るのは辞めよう、と。オーディションが、結構、心に来ていたんで。それで、1年くらい独学でギターを練習したんです。僕、高校3年間はずっとメタラーで。メタルを聴いていましたね。


──早弾きこそ、ギター、みたいな?

あれくん:そう、その通りで。音も歪ませて、ギャンギャンやってたんです。そこが僕の音楽の始まりですね。


──じゃあ、曲を作り、歌をやるようになったのは?

あれくん:高校を卒業して、それこそ本格的に始めたのは20歳とか、21歳とか。2~3年前ですね。


──わかりました。作曲や歌については、また後で詳しく伺うことにして。涼真さんが音楽を始めたきっかけは?

ギタリストとピアニスト

涼真:中3まで野球をやってたんですけど、引退して、やることないなと思った時、親父がギターやってて「ギターかっこいいな」って思ってギターを始めたのがきっかけですね。始めた時に「プロになろう」って思って、そのために高校、専門学校に行って。


──その時思った「プロ」って、どういう人だったの?

涼真:学生の時と今では解釈が違っているんですけど。学生の時は、売れてる人、人気がある人がプロだと思ったんです。でもそれがだんだん変わって来た。ミュージシャンっていうのは、自らのスキルを作品に還元するプロフェッショナル。アーティストっていうのは、自分の個性を音楽に変換する人。

だから今は「プロ」っていうと、ミュージシャンって方がしっくりくる気はします。ただ、僕が今、目指しているのはその両方が出来る人。アーティストでもあり、ミュージシャンでもある……そうなれるように活動していきたいと思っていますね。


──美咲さんが音楽を始めたきっかけは?

美咲:3歳の頃からピアノを始めたので、そこからずっとクラシックでしたね。小学3年生くらいから、ピアニストになりたいっていう思うようになりました。

だから、高校も音楽科に行って、音大に入る道を歩んできたんですね。だから、ずっとクラシックだったんですけど、いわゆるこっちの……J-POPと言われるようなジャンルに興味をもったのが19歳の時で。

魅力的な歌声を持つ同世代が近くにいたっていうのが大きなきっかけでした。その後ろで弾かせてもらえたらどれだけ幸せだろう、楽しいだろうな、弾きたいなって思って。

それから、音楽アプリとかを使いながら、いろいろチャレンジしてみたんですけど、最初はもう全然、わからなくて。その時、楽譜に書いてあることしか出来なかったんだって思って。コードもわからないし、アドリブも出来ないし。「なんでこうなるんだろう、どうしてこうなるんだろう」って。当時ヒットしている曲のストリングスのラインとかめちゃくちゃ繰り返し聴いて、いろいろ覚えていったんですよね。


──ストリングスのラインに耳がいくのは、クラシック出身ならではという感じがしますね。

美咲:そうかもしれないですね。


──歌っている人の後ろで弾いてみたいと思ったのは、その時が初めて? 

美咲:元々はクラシックで、「あなたの演奏はソロ向きじゃなくて、伴奏向き」ってずっと言われてきたんです。伴奏するのがすごく好きだったんですね。それはジャンル問わずなんでも。


──あぁ、合唱とかで伴奏したり?

美咲:そうですね。クラスで合唱するときは、絶対にやりたい、みたいな(笑)。なんか……歌を支えたいっていう気持ちが強かったのかなと思います。

そこから「歌っている人と一緒にやりたい」っていうのが強く固まって、サポートミュージシャンの活動をするようになって。大学通ってクラシックやりながら、いろんなジャンルのサポートもやっていったという感じでしたね。


──歌う人を支えてピアノを弾く楽しさって?

美咲:楽譜がないというか、楽譜が真っ白なわけじゃないですか。コードしかないから。最初はどうしようって感じだったけど、それだけ自由だし幅も広い。自由に描けるんだってことに魅力を感じた時、初めて楽しいって思いました。


承認欲求の行方

──さて。高校時代メタラーだったあれくんですが、曲を書き始めたのが先? 再び歌い始めたのが先?

あれくん:曲ですね。歌い始めたのは、曲を書き始めてから半年後くらいです。


──歌い始めようと思った理由は?

あれくん:アコースティックギターを買ったんですよ。20歳の頃だったかな。


──なぜアコースティックギターを買おうと?

あれくん:生の音がすごい素敵だなと思って。何もない状態から音を作れるじゃないですか。それが良かった。買った当時は、自分で曲を作ろうなんて思ってなかったし、自分で、今みたいに活動するなんて思ってなかったんですよ。ただ単にアコースティックギターの音が好きで、弾くのが好きだったんで買ったっていう。でもまだ歌おう、とは思わなかったんですよね。


──1度、歌に対して心を折られているからね。

あれくん:そうなんです。3点が……結構、引きずっていました。でも、ふと「今、自分の歌ってどうなんだろう?」って考えたことがあったんですね。そう思った時、配信アプリとかで発信してみようかなって考えて、歌い始めたんです。それがアコースティックギターを買ってから半年後くらい。


──自分の歌に対する世間の反応を試してみたかった?

あれくん:そうです。もう、承認欲求ですね、完全に。


──なるほど。発信するのは怖くはなかったですか?

あれくん:いや、めちゃくちゃ怖かったですよ。


──すごい勇気だなと思ったんですよ、今、話を聞いてて。

あれくん:ははは(笑)。すごく勇気がいりました。だから怖くて、最初、わけわかんないこと、していましたよ。配信アプリって、配信はじめると人が観に来るじゃないですか。で、配信始めて、人が観にきたら配信をやめるってことをやってたんです。1カ月くらい、ずっとそれをやってた。


──それは……本当に、わけわかんないね(一同笑)。

あれくん:そうなんです(笑)。それでも、何回も観に来てくれる人がいて、そういう中で、慣れていって。徐々に大丈夫になっていって、定期的に配信をしていくようになりました。

次ページ : デビュー曲『Seafloor』の制作秘話

夜韻-Yoin-(読み=よいん) 「僕たちの音楽でみんなの全てから余韻を感じ取ってもらえるように。」 シンガーソングライターでアコースティックイメージのあれくんと、今どきの若手ロックバンドギタリスト涼真、そして音大出身で華のあるピアニスト岩村美咲。 見た目も背景も違う3人の出会い···

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