男性目線で始まる「木綿のハンカチーフ」
1975年12月に発売され翌1976年に大ヒットを記録した名曲『木綿のハンカチーフ』。この作品は、日本を代表するヒットメーカー筒美京平と、作詞家として本格的に活動をスタートした松本隆、そして期待の若手歌手・太田裕美がタッグを組んで誕生しました。
今もなお、椎名林檎、草野マサムネ、宮本浩次など多くのアーティストによってカバーされ続けていますよね。
若い方でも聴いたことがある人も多いのではないでしょうか。
長きにわたって人々の心を掴む歌詞を早速みていきましょう。
----------------
恋人よ 僕は旅立つ
東へと向う列車で
≪木綿のハンカチーフ 歌詞より抜粋≫
----------------
冒頭の「恋人よ 僕は旅立つ」という、男性目線の歌詞から始まります。
『木綿のハンカチーフ』は、地方から都会へと出た男性と地方に残された女性の遠距離恋愛の模様を描いた曲。
「東へと向う列車」というフレーズから、男性は東京へ向かうのだろうと連想できますよね。
この歌詞は、松本隆が当時のディレクターで九州の炭鉱町出身だった白川隆三をモデルにして書いたそうです。
炭鉱町とは、石炭を掘る炭鉱で働く人々と家族が暮らしていた町。
山に石炭がなくなり閉山されると、そこで働いていた人々は新たな仕事を探さなければなりませんでした。
閉山が続いた1970年代には、きっとこの歌詞のように、多くの若い男性が地方から都会へと出て行ったのではないでしょうか。
----------------
はなやいだ街で
君への贈りもの
探す 探すつもりだ
≪木綿のハンカチーフ 歌詞より抜粋≫
----------------
このフレーズからは、男性の都会に対する憧れと期待感が伝わってきますよね。
男女間の温度差が切ない
----------------
いいえ あなた 私は
欲しいものは ないのよ
≪木綿のハンカチーフ 歌詞より抜粋≫
----------------
ここから歌詞は女性目線に変わります。
都会で君への贈り物を探すという男性に対して、地方に残される女性は「欲しいものはない」とはっきりと否定します。
----------------
ただ都会の絵の具に
染まらないで帰って
染まらないで帰って
≪木綿のハンカチーフ 歌詞より抜粋≫
----------------
この当時、地方に住んでいた人々にとって「都会」や「東京」は、まだ「怖い場所」というイメージがあったのかも知れません。
そんな地方に残される女性が恋人に望むことは、都会暮らしに慣れても変わらないあなたでいてほしい、ただそれだけだったのでしょう。
都会に憧れを抱いている男性と都会を恐れている女性。
1番の歌詞から既に2人の間の温度差を感じます。
この後2人はどうなるのでしょうか。
1970年代当時、男女の視線が入れ替わるという歌詞のスタイルはとても斬新で、しかも歌謡曲では歌詞は2番までが定番だったにも関わらず、この曲は4番までありました。
これは、当時まだ新進気鋭の作詞家だった松本隆の新しい試みだったようですが、作曲家で先輩の筒美京平に「こんな詞じゃ曲はつけられない」とダメ出しされたそうです。
価値観が違い過ぎる2人
----------------
恋人よ 半年が過ぎ
逢えないが泣かないでくれ
都会で流行りの
指輪を送るよ
君に 君に似合うはずだ
≪木綿のハンカチーフ 歌詞より抜粋≫
----------------
ここから2番に入ります。
男性が都会に出てはや半年が過ぎました。
彼は約束通り、彼女に似合う贈り物を見つけたようですね。
松本隆は、この2人のやりとりについて「往復書簡」と語っています。
「往復書簡」とは手紙のやりとりのことで、当時の言い方で言えば「文通」です。
現在のメールやSNSのやりとりのような感覚ですね。
男性は、都会で流行りの指輪を彼女はきっと喜んでくれるはずと思い、手紙を出したのでしょう。
----------------
いいえ 星のダイヤも
海に眠る真珠も
きっと あなたのキスほど
きらめくはず ないもの
きらめくはず ないもの
≪木綿のハンカチーフ 歌詞より抜粋≫
----------------
ところが女性はまったく喜んでくれませんでした。
「ダイヤも真珠もあなたのキスほどきらめかない」というフレーズは、とにかく早く帰ってきて欲しいという女性の気持ちの現れではないでしょうか。
2人の価値観に大きなズレを感じますね。
歌詞が「怖い」といわれるのはなぜ?
----------------
恋人よ いまも素顔で
くち紅も つけないままか
見間違うような
スーツ着たぼくの
写真 写真を見てくれ
≪木綿のハンカチーフ 歌詞より抜粋≫
----------------
いよいよ3番に入ります。
男性が綺麗にお化粧をした女性たちと接していることが伺えるようなフレーズですよね。
彼女の望みも虚しく、すっかり都会の絵の具に染まりきっている模様。
さらに、その手紙にかっこいいスーツでパリッと決めた自分の写真を同封した彼。
これはどういう心理なのでしょうか。
自分は君とはもう違う世界で暮らしているから、僕のことは忘れてくれというアピールでしょうか。
それとも、自分の好意をまったく受け入れてくれない彼女の気持ちを、なんとかして取り戻すための最終手段だったのかも知れません。
----------------
いいえ 草にねころぶ
あなたが好きだったの
でも 木枯しのビル街
からだに気をつけてね
からだに気をつけてね
≪木綿のハンカチーフ 歌詞より抜粋≫
----------------
いずれにせよ、大好きな恋人がビシッと決めた写真を送ってきたら、受け取った方は喜ぶか、面白くて笑うかのどちらかではないでしょうか。
しかし、この女性ははっきりと、作業着で野原に寝転んでいたあなたが好きだったと言い切ります。
要するに、今のあなたは好きじゃないって意味ですよね。
そう言いながらも「からだに気をつけてね」という気遣いを忘れない彼女。
この女性はおそらく芯の強い真面目な人で、自分にも他人にも厳しく、しかし人を気遣う常識はきちんと躾けられた女性なのではないでしょうか。
今風に言えば「ブレない人」でしょう。
もしかすると、それが「怖い」と言われる理由かも知れません。
続きをみていきましょう。
結局女が悪いのか?
ついに最終章の4番です。
----------------
恋人よ 君を忘れて
変わってく ぼくを許して
毎日愉快に過ごす街角
ぼくは ぼくは帰れない
≪木綿のハンカチーフ 歌詞より抜粋≫
----------------
とうとう自分から別れを切り出した男性。
となると、3番で彼女に送ったスーツの写真には、やはり「別れてほしい」というメッセージが込められていたのでしょうか。
はっきりと言葉にする前に、彼女に察してほしかったのかも知れません。
それにしても、田舎から都会に出て心変わり。そして田舎の恋人を捨てるなんて、どう考えても男性側に問題があるように感じますよね。
しかし、意外なことにこの曲の歌詞が「怖い」という意見は、おもに女性に対して向けられているようです。
それは「彼の気持ちを否定し過ぎる」や「何もいらないといいつつ、暗に帰ってこいと強く要求している」というようなもの。
確かに彼女は頑な過ぎますし、彼の思いを完全否定した直後に優しさを見せるところにも、何を考えているのかわからない怖さを感じるような気がします。
自分の意見を曲げない彼女に振り回されて、彼は少し気が病んできていたのかも知れません。
もし、彼女が流行りの指輪を喜んで受け取ったり、彼の写真を嘘でも褒めてあげたりしていたら、別れに至ることはなかったのではないでしょうか。
----------------
あなた 最後のわがまま
贈りものをねだるわ
ねえ 涙拭く 木綿の
ハンカチーフ下さい
≪木綿のハンカチーフ 歌詞より抜粋≫
----------------
彼から別れを切り出された女性は、初めて彼に物質的な要求をします。
それは「木綿のハンカチーフ」。
シルクやレースなどの高級品ではなく素朴な木綿を選んだところに、彼女のブレない人柄が現れていますよね。
しかし、それを使う目的は「涙を拭くため」。
別れ話を切り出す時の男性というものは、少しでも平和的に別れたいという思いでいっぱいなのではないでしょうか。
そんな状況で「涙を拭くハンカチをください」と言われたら、男性は背筋が凍るような気持ちになって、今すぐ逃げ出したくなるでしょう。
もしかすると、この女性はそれをわかっていて自分を捨てた男に精神的な打撃を与えようとしたのでは、と深読みしたくもなってしまいますよね。
そう考えると、この歌詞が「怖い」と言われることにも納得できるような気がしますが、それはいたって現代的な解釈のような気もします。
今はSNSの既読スルーや思わせ投稿などで、恋愛のかけひきがとても複雑になってますよね。
今より世の中の構造がシンプルだった1970年代の人々は、この曲を聴いて健気でいじらしい女性に素直に同情していたのではないでしょうか。
その後2人はどうなった?
----------------
ハンカチーフ下さい
≪木綿のハンカチーフ 歌詞より抜粋≫
----------------
このストーリーはここで終わりを迎えますが、果たして男性は彼女の望み通りに「木綿のハンカチーフ」を贈ったのでしょうか。
おそらく、贈っていないような気がします。
この男性は、周りに影響されやすく快楽的で、どちらかと言えばメンタルが弱いタイプでしょう。
かたやブレない彼女は強いメンタルの持ち主です。
男性は彼女が怖くなってそのまま音信不通になり、彼女は彼のことは忘れて地元で堅実な結婚相手を見つけたことでしょう。
松本隆は、この歌詞について「歌で短編小説と同じようなものができるかというチャレンジだった」と語っています。
その言葉通り、最後まで聴かなければ結末がわからない歌詞に引き込まれ、聴き終わった後も、その後を想像して余韻に浸れる歌詞ですよね。
聴いていると別世界へ連れて行ってくれるような歌詞、それが、この後数々の名曲を生み出すことになる、松本隆の歌詞の大きな魅力ではないでしょうか。
「木綿のハンカチーフ」に見る1970年代のパワー
当時、松本隆の歌詞にダメ出しした筒美京平は、プロデューサーの白川に歌詞の変更を求めますが、白川はどこかで飲んでいて連絡が取れなかったそうです。結局、そのまま曲をつけた筒美京平。
しかし、予想外にいい曲が出来て上機嫌になったといいます。
激動の時代だった1970年代ならではの、いい意味での適当さが伝わって来るようなエピソードですよね。
また、松本隆はこの曲のタイトルに敢えて「コットン」ではなく「木綿」という当時でもあまり使われなくなった言葉を使いました。
「ハンカチ」を「ハンカチーフ」と正式な英語名で呼んでいた人もほとんどいなかったでしょう。
この楽曲は、筒美京平の軽快で明るいメロディに乗って、悲しい結末へと一直線に向かっていきます。
「木綿のハンカチーフ」という上品で古風なタイトルは、その悲しみをより際立たせ、大きなインパクトを与えて1970年代を象徴するヒット曲となりました。
それにも関わらず、当時オリコン1位を取れなかった『木綿のハンカチーフ』。
では、この曲を超えて1位に輝いた曲は何だったのでしょうか。
それは、社会現象にまでなった子門真人の『およげ!たいやきくん』。
1970年代に生まれた名曲の数々からは、当時の音楽が持っていたパワーを感じずにはいられませんよね。