ボカロP「john」と「TOOBOE」
2019年4月、johnはデビュー曲『インフェリオリティー』を発表し、ボカロPとして活動を開始しました。
彼が使用するボーカロイドは「初音ミク」のみで、斬新なサウンドと元祖ボカロの融合が特徴的なアーティストです。
johnは作詞作曲のみならず、MVのイラストやアニメーションまで手がけており、マルチな才能を発揮しています。
その正体はベールに包まれていますが、これもまた楽曲を純粋に楽しんでほしいという彼の考えから、出来るだけ自身にまつわる情報を出さない様にしているそうです。
2020年9月には「TOOBOE(トオボエ)」としてソロプロジェクトを立ち上げました。
こちらの名義では、ボカロではなく自分でボーカルを務めた作品も発表しています。
また、他のアーティストへの楽曲提供も積極的にしており、yamaのメジャーデビュー曲『真っ白』を制作した事でも知られています。
灰になった幸福が恨めしい
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嗚呼 何て恨めしいの
私の当て所ない灰になった幸福
大層 見窄らしく 今は
人に見せるのも嫌なんだけどさ
此処で笑えそうな
不出来な小噺一つ いかがですか
こんなくだらねぇ生き様
酒の肴にしちまってくれよ
≪KABUKI 歌詞より抜粋≫
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冒頭から、現状に対する嘆きの声が洩れます。
かつて手の中にあったはずの「幸福」を探すも、時すでに遅し。
気づいたときには、もうどこにもありません。
かつての姿からは想像も出来ないほど自分がみすぼらしくなってしまったと感じる主人公。
その日暮らしの生活が続き、今では人目に触れるのもはばかられるようです。
まるで芝居の前口上を聞いているかのように、軽快な口ぶりで歌詞が紡がれます。
自分の生き方を自嘲しながら、小噺として話そうとする主人公。
少しでも過去を浄化させたい気持ちが見え隠れしています。
弱さもエネルギーにしてしまえ
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どんなに苦い言葉も
飲み干して笑おうぜ
今は取敢えず まだ死なねぇからさ
そしてこの心臓が焼かれる音を
聴きながら眠ろうぜ
それが愛歌なら嬉しいよな
もう一度云う、愛歌なら嬉しいよな
≪KABUKI 歌詞より抜粋≫
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Aメロでは自分のことを嘲笑うように語っていた主人公。
どうしようもなく堕落しているようにすら思えた人間像が、サビでは一変し、自分の弱さすら生きるエネルギーにしてしまったようです。
「今は取敢えず まだ死なねぇからさ」という歌詞が、無責任すぎず深刻すぎず、とても丁度よく響きます。
「そしてこの心臓が焼かれる音を聴きながら眠ろうぜ」という斬新なフレーズは、”今、生きている” ただその事を実感するだけで十分じゃないかというメッセージにも思えますね。
あわよくばその音を聞いて「自分が愛されている」と感じられたなら幸せだ、という切望にも似たようなフレーズで締めくくられています。
あまりに切ないラブロマンス
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いうて この身なんて
吹けば何尺も飛んでく落ち葉の様
金 落としなさんな
稚拙 選り好みすら出来無ぇで候
ようやく貴方 掴んだ成功
私を見ないでおくんなまし
後ろ等、振り向かず お逝きなさい
≪KABUKI 歌詞より抜粋≫
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歌舞伎役者になぞらえて主人公の生き様が描かれた『KABUKI』。
吹けば飛んでしまうように儚い存在がより浮き彫りにされています。
ここでは、かつての恋人との再会が描かれているのでしょうか。
相手は成功し、今や2人の立ち位置は大きく離れてしまいました。
主人公は恋人と共に過ごした幸せな日々を思い出すも、自分の現状を比べて嘲笑っているのでしょう。
「愛歌なら嬉しいよな」に込められた意味
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誰かの卑しい夢も
咀嚼して吐き出して
優しいお前だから大事なのさ
何にもいらないわ
今の この瞬間を
生きることにしようぜ
それが愛歌なら嬉しいよな
何回も云う、愛歌なら嬉しいよな
≪KABUKI 歌詞より抜粋≫
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誰かの欲望を叶えてあげたように見せて吐き出してきた主人公。
あまりにも寂しい行為を繰り返す自分にうんざりしつつも、大切だった恋人は巻き込みたくないのでしょう。
あえて自分から突き放し、先へ行くように送り出します。
この楽曲の中で何回も繰り返される「愛歌(ラブソング)なら嬉しいよな」というフレーズ。
ここには、愛されたいという主人公の願いと、届かないと知りながら主人公が元恋人へ送り続けている愛情の2つが込められているのかもしれません。
愛されていると気づいて嬉しがる彼の顔を思い浮かべながら、彼女は今日もラブソングを口ずさむのでしょうか。
主人公は孤独であろうが何であろうが、とにかく今だけでも生きてみるかという思いで今日まで生き続けてきたのでしょう。
人生を見据えた時に、その果てしなさに絶望する人もいるかもしれません。
しかし、この主人公のように「とりあえず、今生きてみるか」「もうちょっとだけ生き延びてみようか」という軽い気持ちで生きてみたら、少しは楽になるかもしれません。
「KABUKI」が意味するのは恨み節と自嘲の先に辿り着いた生き方
『KABUKI』というタイトルからもお分かりのように、この楽曲のモチーフは日本の伝統芸能「歌舞伎」に由来しています。
「歌舞伎」は、江戸時代初期に「出雲阿国」という女性が始めた「歌舞伎踊り」が起源と言われています。
彼女は奇抜な衣装を着たり男装したりして舞台に上がっていました。
このような奇抜な言動を指した「傾く(かぶく)」という言葉が「歌舞伎」の語源となったそうです。
johnがこの楽曲のために描いたイラストでは、派手な衣装を着た初音ミクが見栄を切っています。
まさに『KABUKI』そのものを表しているようですね。
阿国の人気に乗っかり、劇団や女芸人が彼女の真似をして興行を始めますが、これが風紀を乱すとして女性の歌舞伎は規制されます。
ならば男性だけで歌舞伎をやろうということで「野郎歌舞伎」が生まれ、娯楽に飢えていた民衆の間で爆発的な人気を得ました。
これが伝統となって現在まで引き継がれているのです。
『KABUKI』には、歌詞の中に歌舞伎の要素だけでなく遊女や花魁のような雰囲気も兼ね備えています。
どこか掴みどころのない危うさは、そこから来ているのかもしれません。
浮かび上がる自由な生き様
今回『KABUKI』を深堀りして浮かび上がったのは、「上手く生きようとしない人間の自由さ」です。
自分のどうしようもない所を受け入れた上で、それでも図々しく生きてやろうとする主人公。
彼女の体は環境に縛られていたとしても、心や生き様がとても自由に感じられます。
johnのアニメーションと併せて聴くと世一層楽しめるので、ぜひYoutubeの公式動画もチェックしてみてくださいね。