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【インタビュー】SUPER BEAVER「僕らのあゆみに、またひとつ筋が通った」 (2/2)


自分にしか分からない恥に向き合う

──シングル2曲目はライブの定番曲『東京流星群』(2013年リリースの4枚目のミニアルバム『世界が目を覚ますのなら』収録曲)の新録がきます。

実はUtaTenではアーティストが今1番伝えたい歌詞への想いを綴る「歌言(utakoto)」という連載コーナーがあり、そのvol.1を担当されたのが柳沢さんで『東京流星群』について執筆していただきました(ピックアップアーティストコラム歌言 SUPER BEAVER・柳沢亮太<vol.1>「東京流星群」 | 歌詞検索サイト【UtaTen】ふりがな付)。このコラムにはものすごい反応をいただきまして、「改めて勇気づけられた」といった声もたくさんありました。



柳沢亮太:なにせ8年前の楽曲なので、当時の自分たちとこの楽曲とともにいる今の自分たちの思考がまったく一緒なわけではないので。自分たちは『東京流星群』をずっとやり続けていますけれど、届き方は少しずつ変化してるのかな、とは思うんです。そして8年前の楽曲ではあるんですけど、今日現在の生活のどこかしらに響くというか、“ちょっと頑張ろう”と少しだけ視線が上がるといった気持ちになってくれるのは、すごくうれしいですね。



──「東京出身に劣等感を持っていたことに驚いた」という感想も多かったです。柳沢さんのコラムにも「10代限定の音楽コンテストの全国大会で、各地から集まった出場者が大人びて見えた」書かれていましたけれど、やはり当時は自分たちが持っていない何かの雰囲気を感じていたのでしょうか?

渋谷龍太:自分で決断するタイミングが多い人に対しては、素敵だと感じることも多いですね。地元を離れて東京に来た、というのは非常に見えやすい覚悟なので、すごいなと思いましたし、自分がやろうと思ってもできないことの一つではあるから、素敵に見えました。でもその覚悟をどのタームで決めるかは人それぞれですし、それは1つだけではない気がしています。

自分たちは上京することを選ばない、選べない分、他の部分での決断は多かったと思うから、今となってはそういう人たちと比べて何か劣っているとはまったく感じないのですが、当時はその年代でできる一番大きな決断な気はするので。その選択肢が僕らにはなかったし。

ただ正直、かなり恵まれた状況にいることをもっと有利に考えても、本当は良かったと思うんですよね。今でこそ、僕は23歳で別に1人暮らししなくても良かったな、と思っていて。

柳沢亮太:そうなんだよね。

渋谷龍太:なぜ自分が実家を離れて一人で暮らしてみようと思ったのか、とか。その恵まれた環境をあえて手放したかといったら、そういうところにコンプレックスがあったと思うし。でももう1回、それこそタイムリープじゃないですけれど、23歳に戻るなら、僕はたぶんずっと実家にいるでしょうね。

もちろん10年間以上一人で暮らしてみたからこそ思えることもかなりあるから、まったく無駄にはなっていないと思うんですけれど。無理に張り合おうとしないで、もっと有利に捉えて生かせばいいのに、と感じる部分もあるので。

柳沢亮太:すごく分かる。


──恵まれているがゆえに、申し訳なさを感じることはありますよね。


渋谷龍太:確かに恵まれていることに対して、いいのかな?という感覚は、僕も小さい頃からずっとありました。僕の地元は両親がいる家の方が圧倒的に少なくて。友だちが家に来た時に両親が家にいる環境を見られるのが恥ずかしいというか、“ごめん”と思う瞬間が結構あったんです。別にみんなはその当時、そのことに対しては何も思っていなかったと言うんですけれど、個人的にはそういう思いを抱いていて。どうにかして自分も同じ尺度でものを見ていたい、という思いが小さい頃からあったんですね。

だから一人で暮らしてみたいという希望も、そういうところから突き動かされているのもあった。僕は孤独と向き合う時間が極端に少なかったと思うんです。孤独とどう付き合い、一人で生きていることについて、どんなふうに向き合ったらいいのかなと、学生の時からずっと考えていて。なので正直、いてもたってもいられなかったという感覚はありました。

柳沢亮太:今、“恥ずかしい”という言葉がすごく腑に落ちたんです。恥ずかしいとか、それがコンプレックスであることって、すごく分かるんですよ。でもその感覚があって良かったなと思うし、そういう気持ちはいまだにいろいろなところであるんですよね。コンプレックスではなくなってきたのかもしれないんですけれど、何か歯がゆさというか。あの謎の劣等感と向き合うのは、すごくいいことだと思いますし。


──恥を持つことも大事、だと。

柳沢亮太:しかもその恥って、意外と自分にしか分からないことだったりもして。そことどう向き合うかは、この曲にも通ずることではあったと思います。

藤原”33才”広明:逆に僕はつい最近まで実家にいて、親に頭を下げてなんとか住まわせてもらっていました。ただいろいろ言われたりすることもありましたけれど、“他の人に何か言われることじゃないだろう”とは思っていたんです。ずっと実家にいることも、自分なりにバンドを頑張るために必要なことだと考えていたので。

柳沢亮太:渋谷や藤原の話を聞いて、すごく“それそれ”と思いましたね。実家暮らしが恥ずかしかったということとか、音楽をやるためにずっと実家で住もうというのも、一つの覚悟だと思うんですよね。誰に何と言われたって、その苦しみは音楽をやることには勝てない、という。そういう捉え方もきっとあった。

そういった固まりきらないアイデンティティとの戦いみたいなのは、ずっとあったと思いますし、今でもあらゆる細かい部分で続いているんだと思うんですよね。


──藤原さんも、深くうなずかれていますが。


藤原”33才”広明:うん。実家に暮らしていることとかそうですけれど、いいことというか、恵まれていることだけど、それが実はコンプレックス、みたいなことですよね。僕もずっと老け顔だと言われてコンプレックスでしたけれど、それは武器なんだと友だちやメンバーから教えてもらって。それを前面に出すようになったら、すごい武器を持っていたんだな、と感じるようになったんです。

上杉研太:武器にしか見えなくなってきた(笑)。

藤原”33才”広明:一歩踏み出せないからみんなコンプレックスを持っているけれど、周りから見ると、それは意外にコンプレックスではなくて、その人なりの特徴だったり、その人を形成しているキャラクターだったりするじゃないですか。でもその時は気付けなくて、だんだんそういうのがなくなっていった、という感じはあるんですけどね。みんなそうなのかな、と思います。


──柳沢さんがコラムで書かれていたように、願って、望んで、羨んで、今に無いものを欲してしまう、というのも『東京流星群』のテーマの1つですよね。

柳沢亮太:『東京流星群』は、当時そこに対する自分たちなりのちょっとしたカウンターだったと思うんです。ただ最初に言ったように、今日現在もここで歌っている気持ちというのはありますけど、やはり8年経ってみると、今と当時とではとらえ方が変化している、という気はしていますね。


▲SUPER BEAVER 「東京流星群」Teaser Movie


呼ばれたもの以上の何かを残したい

──『東京流星群』は2013年当時と比べて、演奏面でどんなところが変わったと思いますか?


上杉研太:『東京流星群』は4人で合宿しながら録っていたんですよね。それこそライブでもっと歌い合いたいという思いから、こうやってみんなでシンガロングする曲が生まれていって。その後この8年間でSUPER BEAVERのライブをずっと何かしら担ってきた楽曲にもなってると思うし。そう考えたらこの曲自体も、8年間一緒に歩み続けてきて確実に培ってきているものがあるから。リアレンジに関しては特に前と比較して点と点で見るのではなくて、一緒に年をとってきた曲と人間という感じで、ただそれをレコーディングする、ということだけを考えてやりましたね。

やはりおのずと違いは絶対出てくるはずなんです。もちろん渋谷の歌い方もライブで変わってきたり、楽器だって当時と違うものを使っていたりしますし、ライブの時のニュアンスといったものも、若干入ってくる。それが自然に出てくるのが、正しいリアレンジなのかな、と思いました。


──リアレンジの方法を模索した中で、すっと出てきたものを素直に表現された、と。

上杉研太:いろいろな手法はあると思うんですけど、この楽曲においては、だからこそ前と今の良さが際立つような気もします。まったく違うものに構築するのではなく、同じようなところで勝負するからこそ光るアレンジかな、と思います。


──1曲目の『名前を呼ぶよ』はタイムリープで数年飛びながらSUPER BEAVERのこれまでのあゆみを表していて、『東京流星群』はずっと演奏続けて一緒に歩んできた楽曲。このシングルはSUPER BEAVERの歴史を表しているんですね。

柳沢亮太:今回はバチっとハマりましたよね。『東京流星群』が入るということ自体も、そうだと思います。


──今年の夏はさまざまなフェスの出演が控えていますが、どんな夏にしたいですか?

上杉研太:この大変な状況の中で、誘っていただいているフェスをすべてしっかりやりたいです。バンドとして良いパフォーマンスをしつつ、イベントとしてもコロナを巻き起こすことなく成功して、バンドの夏になればいいなと思っています。

渋谷龍太:誰かが動いたら、誰かが動かなくてはいけない。その状況を自分たちが作り出している側でもあるので。その中で自分がやることは、自分たちが立たされたその場で、呼ばれたもの以上の何かを残して帰るのが、音楽人としての責任の取り方だと思います。そういうところはぬかりないように、しっかりやりたいですね。



TEXT キャベトンコ
PHOTO Kei Sakuhara

SUPER BEAVER(スーパービーバー)。 渋谷龍太(Vo)、柳沢亮太(G)、上杉研太(B)、藤原“35才”広明(Dr)の4人によって2005年に東京で結成された。 2009年6月にEPICレコードジャパンよりシングル「深呼吸」でメジャーデビュー。 2011年に活動の場をメジャーからインディーズへと移し、···

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