ストレスや焦燥感に駆られる氷河期世代の嘆き
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ああ煙ったい世論読んで飽きた
達したい今夜あたり涅槃へと
≪仏だけ徒歩 歌詞より抜粋≫
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冒頭のフレーズから、世論を読んで煙たく感じ、飽きている様子が読み取れます。
『仏だけ徒歩』の主人公はこの世に嫌気がさしたため、「涅槃(自分の煩悩から解き放たれた世界)」に行ってみたいと感じているようです。
MVでバンドメンバーが全員サングラスをつけている様子からも、「この世を見たくない」という、主人公の気持ちが反映されているように思えます。
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仏陀再来?悲願を叶えて
結果煩悩だと揶揄されたとて構わぬ
≪仏だけ徒歩 歌詞より抜粋≫
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「涅槃に行ってみたいという悲願そのものが煩悩だ。」と、からかわれるかもしれない。
しかし、そう思われても「構わぬ」と思えるほど、涅槃に行ってみたいと思っているようですね。
これも、現実逃避の1つなのかもしれません。
氷河期世代への労わり
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「氷河期世代ならまだ早いだろう」とか言われたくはないね
何十年もよく無事堪え続けたじゃんねえどっこい生きている
≪仏だけ徒歩 歌詞より抜粋≫
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現代社会を生きていくのは、どの世代においても多かれ少なかれ辛いことがあるものですが、『仏だけ徒歩』では「氷河期世代」にスポットが当てられています。
バブル崩壊後の就職で、特に大変な思いをしてきた世代だからでしょうか。
もしかすると東京事変のバンドメンバーのほとんどが、氷河期世代なことも関係しているかもしれません。
そんな氷河期世代に対して「その世代がこの世の苦しみから逃れたい(涅槃に行きたい)だなんて、まだ早いのではないか」という人がいるようです。
しかしそんな意見に対して主人公は「そんな風に言われたくない。辛い中頑張って生き抜いているんだから、楽になりたい。」と、自分で自分を労っています。
曲を聴いた側の立場としては、「氷河期世代を労わってくれる歌詞だ」と感じるかもしれません。
涅槃への導き
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笑って自由を誇ってくれ
ダルマ/カルマ/ノルマ暮れるまい
≪仏だけ徒歩 歌詞より抜粋≫
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ここでは「ルマ」という韻を踏んだ言葉が畳みかけられますので、意味を確認していきましょう。
「ダルマ」はサンスクリット語(インドなどアジアで使われていた古代語)で「法」、「教え」、ひいては「世界の原理」を意味しています。
「カルマ」もサンスクリット語で「行為」を意味しており、私たち人間が日々の暮らしで積み上げてきた行いのことです。
「ノルマ」はラテン語がもとになっていますが、日本語でもカタカナ語として使われていますね。
こちらは「仕事」や「義務」などを表しています。
それが「暮れるまい」ということは、「この世界で日々生きる中、あらゆるノルマは暮れていくことはない(常に何かの仕事や義務などに追われる)」と解釈できるでしょう。
この描写は、現代人が生活するうえでの焦燥感を表している、と考察してみました。
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その調子だわいい感じほらもうすぐよ
≪仏だけ徒歩 歌詞より抜粋≫
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そんな大変な日々を過ごす主人公は、「毎日大変だけどいい感じだ」と自分に言い聞かせているようです。
そこに、「もうすぐよ」と救いの言葉が投げかけられます。
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輪廻転生まあ遠慮するものの
滅したい現世の毒気を須く葬る
≪仏だけ徒歩 歌詞より抜粋≫
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続く歌詞でも涅槃へ導く描写がなされています。
「輪廻転生」は「生まれ変わり」という意味です。
仏教では「生きとし生けるものすべては、生まれ変わりを繰り返している」という考え方を持っています。
涅槃に行くには輪廻転生から離脱しなければならないので、これが「遠慮」という言葉につながっているのでしょう。
そして主人公は、現世の毒気をすべて払い落として、涅槃を目指します。
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「氷河期世代なら飢えている筈だ」とか言われたくはないね
むしろ向き不向きで言うならば当方じゃん敬虔に祈っている
≪仏だけ徒歩 歌詞より抜粋≫
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ここで、再び氷河期世代を労わる言葉が投げかけられます。
「氷河期世代なのだから、飢えている筈だ」という意見に対して異議を唱える主人公。
むしろこれまで大変な中を生き抜いてきた氷河期世代の方が、はるかに涅槃に近い(欲や煩悩から離脱する)という考えを持っていると感じているようです。
氷河期世代の誇り
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叱ってもらって育ってやれ
ゆとり/さとり/ばぶりの人より
≪仏だけ徒歩 歌詞より抜粋≫
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さらに主人公は「ゆとり世代・さとり世代・ばぶり世代」を比べて、自分たち氷河期世代の方がたくましいと主張しています。
「ばぶり世代」という俗称は存在しないようなので、おそらく椎名林檎ならではの造語で、おそらく「子供世代」をさしているのでしょう。
こちらの歌詞からは「元々たくましく生まれてきた」というよりも「これまでの苦労を生き抜いてきたからこそたくましいのだ」という、氷河期世代の誇りを表現していると解釈できそうです。
3つの煩悩を受け入れた先にあるもの
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悟って至って普通に解脱
ローパ/ドーサ/モーハ従えようか
落ち着いて考えているほら目を閉じて
まさか現在の静けさが
もうニルヴァーナか!
≪仏だけ徒歩 歌詞より抜粋≫
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大変な世を生き抜いてきた自分たちを労わり、誇りに思いつつ、涅槃を目指してきた主人公でしたが、ついに涅槃へ到達するようです。
「ローパ」「ドーサ」「モーハ」はそれぞれ、パーリ語(古代インドの言語)で、「貪り」「怒り」「無知」を表しています。
これらの3つの概念は「三毒」とも呼ばれている煩悩ですが、それらを受け入れてコントロールすることで落ち着けると説かれています。
そして、目を閉じると静けさや落ち着きを手に入れるようになりますが、この静けさが「もうニルヴァーナか!」と気づいたようですね。
自然な流れで涅槃に到達できたという様子が読み取れるでしょう。
人生を少しでも楽に生きよう
『仏だけ徒歩』の主人公は、「氷河期世代を生き抜いてきて大変だったから、そろそろ楽に生きたい」と望み、いつのまにかその境地に至ることになります。
氷河期世代にスポットを当てた内容になっていますが、「煩悩や執着から逃れて楽になりたい」と希望を持つことや、「大変な人生を生き抜いている」といった苦労は、氷河期世代に限ったことではないはず。
また、「自分はこれまでがんばった」と労わったり誇りに感じたりして、自分の心をケアする時間を設けることは、すべての世代において大切なことです。
誰しもどこかで苦労を重ねているからこそ、楽に生きたいと願うのではないでしょうか。
また、苦労を生み出す「煩悩」や「執着」から離れて、自分を甘やかしてあげることが、少しでも人生を楽にすることにつながるのかもしれません。
氷河期世代の方も、それ以外の世代の方も『仏だけ徒歩』に込められた「人生を楽に生きるためのヒント」や、「自分をケアするためのエール」を感じ取ってみてくださいね!