誰かの幸せを願う、その瞬間が増えたんです
──2年3ヶ月ぶりに9枚目のオリジナルアルバム『HAPPY』がリリースされます。本作はタイトルに冠した通り“幸せ”について歌われたものになりますが、このタイミングで “幸せ”をテーマにした理由から教えてください。高橋優(以下、高橋):今回は、「HAPPY」をテーマにアルバムを作りたいと思い、曲が出来る前からこのタイトルにしようと決めていました。
メジャーデビューの2010年からもちろん幸せについて歌っていたと思うんですけど、そこまで幸せや不幸せについて特化した作品は作ったことはなくて。歌詞の中にフレーズとして出てくるくらいでした。
コロナ禍や世界では戦争などが起こって、2020年ごろから混沌とした世の中が続く中で、我々が現在身を置くこの状況について皆さんはどう思っているのか、そういう投げかけも含めてあえて『HAPPY』というタイトルにしました。
──なるほど。高橋さんはコメントの中で「自分以外の誰かの幸せを芯から願えるようになった」と書かれていました。すごく印象的な言葉だなと思ったんですが、こう思えるキッカケは何かあったんですか?
高橋:ツアーを全国でやらせていただく中で、極端に言えば’’ライブだけやって帰ればいい’’ということではあるんですけど、僕は「俺が歌を届けに来ました」と特にMCもせず、「俺来たけどどう?」みたいなライブをするタイプではないから。
その土地に来させてもらって、例えば現地の人たちが食べているものを一緒に食べたり、現地の人も知らないようなマニアックな遊園地に行ってみたりとか。それをライブのMCで共有したりすると喜んでもらえたり、僕にとってもいい思い出になったり。そういうことを3〜4年前からやっているんです。
前日入りをして、どこかへ行ってからライブをやる。そうするとスタッフの人たちからは「観光好きなんだな」と思われたりして。
もちろん僕もそのつもりでやっていたんだけど、ふと僕はこれを楽しんでやっているのかなと考えたとき、もちろん楽しんでやっているんだけど、比重としてはライブでそれを話したときに、その場所だけで共感しあえる時間があるんじゃないかなと思います。ところでご出身はどちらですか?
──鳥取県です。
高橋:鳥取県なら、砂丘だったり、モサエビというエビが美味しいとタクシーの運転手さんに聞いたのでせっかく鳥取に来たならモサエビを食べようとなって。
お店に行ったんだけど、週末で1軒目は「モサエビはあるけど、席がない」、2軒目は「席が空いてるけど、モサエビがありません」、3軒目の居酒屋でようやく両方があって(笑)。
砂丘に行って帰りにモサエビを食べて、砂丘ではラクダのぬいぐるみを買ってそれをライブで見せたりする。そうするとお客さんは「高橋は鳥取に来てまで何をしてるんだ」と笑ってるんですよ(笑)。
そこで笑ったり、楽しむことって幸せじゃないですか。自分が観光客のようにその土地で体験した話を共有することで誰かの幸せになるかもしれないという感じでツアーをやるようになっていきました。
──とても素敵なことですね。確かに現地の人は嬉しいと思います。
高橋:昨年から今年にかけて47都道府県ツアーを開催したのですが、47都道府県全部でそれをやったんですよ。やっぱりMCは盛り上がるし、逆に長くなっちゃって早く歌えというムードにもなるんだけど(笑)、地元の人たちも「それは食わないぞ」となったり、「それを食べてくれてありがとう!」と感謝されたり、自分の楽しみを共有することで誰かの楽しみになるということがまずヒントになっているんです。
自分のやっていることが誰かの幸せになっているかもしれないと思えたことが大きな理由になっている。
あと、プライベートでは3年前から両親と3人で年に1回の家族旅行を必ずやっていて。親が行きたいところに連れて行って、内容は全部自分がコーディネートするんです。
「どういうところに泊まりたいかな? 何を食べたいかな?」、「70代だし、たくさん歩く旅行にしないほうがいいな」とか、一人旅の工程と全く異なるわけで。でもその最中って親の楽しみを考えている時間になるんですよね。
親孝行なんてのは子供の自己満だっていう話もあるんですが、そこに抗って、ちょっとでも本当に親が無邪気に楽しむ瞬間を作ってやるぞと思っている時間は自分のエゴかもしれないけど、もしかしたら誰かの幸せを考えている瞬間なのかもしれない。そういう瞬間が以前よりだいぶ増えた気がするんです。だからこそ、あのコメントになったんだと思います。
──そう思えるのってどうしてなんでしょう。歳を重ねることで生まれた新しい感情なのか、元々高橋さんの中にあったものなのか。
高橋:個人的には、聖人君子で根っからの良いやつですなんて言うつもりもなく。これは僕のエゴなんです。
僕が幸せになるためには、僕だけが幸せになってもつまらないんです。例えば、この現場で僕だけにめちゃくちゃ美味しい食べ物が出てきて、みんながうまい棒1本とかだったら気を遣うし、そういう状況をもしかしたら子供の頃なら喜んでいたかもしれないけど、そうじゃない。みんなと共有したいと思うんですよ。
なんだったら僕は物欲が強い方じゃないから、誰かが何を持っていても羨ましいとか寂しいとか思わない。
この時期、表参道なんか歩いているとイルミネーションを見るためのカップルがたくさん歩いていて、「ぼっちの私は不幸せなのかな」みたいな話が必ず出るじゃないですか。でも僕にはその感覚がないんです。
幸せでよかったねと思える。そう思えるのは、その姿を見て自分も満足しているからなんですよね。勝手に幸せをいただいている感じなんです。
地元・秋田県への思い
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──本作には、高橋の地元である秋田県にまつわるものも多く収録されていると思うんです。「はなうた-pray for Akita-」や「WINDING MIND」、秋田県の番組やCMなどのタイアップソングも収録されています。また、「秋田 CARAVAN MUSIC FES」も主催される中で、高橋さんにとって地元・秋田はどのような存在ですか?
高橋:現状で言うと、ありがたいことに地元には仕事で帰ることが多いんですけど、結構顔を指差されるんですよ。東京では全然バレないんですけど、秋田で歩くと声を掛けられたりすることがあるので、気が休まるかと言われたら、秋田にいる時の方が少し緊張している。自分の体感としては、秋田での活動は地元ということもあり、さらに気が引き締まっている気がします。
──なるほど。
高橋:ただ、自分の原体験を経験させてくれたのが秋田県。音楽の出会いや映画の出会いもそうですし、思い返すと秋田県の山の景色、雪景色を見て育ってきたから、いろんなことを経験させてくれた地元の景色を思い出すと心が安らぐ。
今や秋田県がなくなってそこが宮城になって岩手と青森が拡大して秋田県はなくなる……、その可能性が高いんですよ。人口減少率1位で高齢化率1位だったりもするから、そこに対しては僕なりにこれだけ恩恵を受けた秋田県に対して思いはありますよね。
生まれ育った自分も何の魅力もないと言える場所だったら諦めると思うんですけど、まだ誰も知らない、知ってる人がすごく少ない秋田の魅力ってめちゃくちゃあるし、それを知ってもらう活動はしたい。
秋田県の人たちにも元気で楽しんでいてほしいというか、秋田っていいところだよねと言い合える関係性でいたいなと思うし、現状に抗っていたいなと思うんですよね。
──それってある種のHAPPYの発信でもありますよね。
高橋:うーん、よく慈善活動と言われたりもしますけど、あくまでも自分の思いが元になっているから。クラスであまり喋らない人がいたら「こいつって案外いいやつだよ」って言いたくなるのに似てる。喋らないだけで嫌われちゃったりとか、1人仲間ハズレにされている人を見ると、別に助けてやりたいとかじゃないけど、何も知らないくせに話しかけないのは違うってそういう感覚に近いですね。
そこで育ったからにはその場のことを知っていたいし、伝えていきたいみたいな感じです。
──それこそ「はなうた-pray for Akita-」はその気持ちが顕著に出たような楽曲だと思いました。
高橋:そうですね。機会があって豪雨被害があった場所に行かせていただいて。被害に遭われた方とお話もさせていただきました。
例えば、今こうやってインタビューを受けているビルが水浸しになるなんて誰も想像しないじゃないですか。「まさかここは大丈夫」と思ってる。それが秋田県では起こったんですよね。
70年間自分が生きてきた家が水浸しになって、「このままだと危ないから壊すね」とボランティアの方々に壊されていく。そんなとき、「まさかウチがなあ」と笑っているんですよ。それが本当になんとも言えない気持ちになった。
──考えるだけでも胸がキュッと痛みます。
高橋:そういった経験をする中で、印象的だったのはとあるおばあちゃんの大事にしていた手帳を探したとき。
雨で水浸しの部屋の中を僕と同世代の男性14人くらいで探し回ったんです。何年も開かずの間だったタンスを一つ一つ探し回って、探していた手帳や写真が見つかったときは、まるで映画を観たような感覚になりました。1冊の手帳が見つかっただけですよ? スケールの大きい小さいじゃないんですよ。
今、テレビやネットで取り沙汰されているニュースももちろん大事だけど、1人の人間の日常が非日常になったり、家がなくなったり、大事にしていた手帳が見つかる。
それはそこに行ってみないと分からないことだし、そこでしか感じられない感情がある。その思いを残しておかないといけないと思って書いたのが「はなうた-pray for Akita-」です。
──忘れてはいけない感情って必ずありますもんね。
高橋:人間ってどうしても忘れてしまうから。47都道府県ツアーの際に石川県でこの曲を歌ったんですけど、僕もいいことを言おうと思ったのか、分からないけど、MCでろくなことも言えずに。「この歌をここで歌いたかった」とだけ言葉にして歌って。
そういう部分にも自分が見てきたものがどういった形であれ、共有されることで元気になったりとか、「問題解決!」というのではなくて、「大変だったね」ということを音楽でやりたい。
だから、会話の中で「心配してたよ」とは絶対に言わないんですよ。だからこういう曲を書くのかもなとも思います。
──楽曲を通して、寄り添う。
高橋:寄り添えればいいけど、僕に寄り添われたくないかもしれないし(笑)。だから「大丈夫?」というのはカッコいい人たちにお任せして。僕はあくまでも歌って、歌を添えるくらいでありたい。
だから、地元トークをして、「なんで地元の人なのに知らないんだよ! あそこの店は美味しいぞ!」って。そしたらみんながお店に行く、ちょっとだけ経済効果みたいな(笑)。
変な話をして、歌の中に本当に言いたかったことを込めたいなという僕の典型的なものが「はなうた-pray for Akita-」だったかなと思います。
高橋優の色を改めて出したかった
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──本当に言いたいことを歌に込めるからこそ、高橋さんの紡ぐ言葉は血が通っているというか、説得力を感じるのかなと今お話を聞いていて思いました。
高橋:ありがとうございます。
──本作はやはり全曲“幸せ”を意識しながら制作を進めていったことになるのでしょうか。
高橋:やはり幸せをさまざまな視点から、要は不幸せでもいいんですよね。「明日から戦争が始まるみたいだ」という曲を書いたんですけど、幸福の対義語に値するものって戦争とかになってくると思うんです。そういう思いから戦争についての曲を書いたんですけど、これは自然と出てきたもの。
幸せをテーマにしたからこそ、ああいう曲が出来たんじゃないかなと思います。
──タイアップ曲も多く収録されますが、根底には幸せというキーワードがあった。
高橋:片隅に幸せを留めつつ、「この言葉で歌いたい」という気持ちで曲を書いたりすることも多いので、例えば「リアルタイムシンガーソングライター」を書いているときは、めっちゃ幸せな人が歌っていたのに、どうした急に?という曲にしたいなと思って書いていたので、幸せの曲にならないかもしれないと思って書いてました。
──「リアルタイムシンガーソングライター」の展開は、鳥肌が立ちました。
高橋:おお! それは嬉しい!
──制作はどのように進められたんですか?
高橋:この夏にスコットランドのエディンバラに行ってきまして。現在世界中で行われているいろんな夏フェスの中でかなり注目度の高いフェスがエディンバラで行われていることを友人から聞いて、フェスを主催するものとして観ておくべきだと思い、弾丸で行ってきたんですけど、その道中の飛行機の中で歌詞を書きました。
──だから〈国際線のエコノミー ビーフorチキンの微笑み〉という歌詞が生まれた。
高橋:そうです。飛行機って座ると目の前に液晶があるじゃないですか。メニューを変えると今飛んでいるマップが出るんですよね。ちょうど観たとき真下がアフガニスタンだったんですよね。
──〈定かじゃない国境線 真下にアフガニスタン〉に繋がる。では、飛行機の中で紡いだ言葉で構築されている?
高橋:とはいえワンコーラス目くらいですかね。ワンコーラス目のAメロが曲を書くときに悩むんですよ。言葉が出てくるときは勢いで書けたりするけど、歌い出しって結構悩むことが多くて。
だから飛行機の中とか特殊な空間にいるときの方がワーっと書けたりするんですよね。
──歌詞に関してなんですが、「自分以外の誰かの幸せを芯から願えるようになった」ことで紡ぐ言葉に変化はあったりしましたか?
高橋:自分ではまだ分かってなくて。というのも楽曲というのは聴いていただいてからとか、ライブで表現されたあたりが1つのゴール地点だと思っているんです。
現状はまだリリースする前にいただいた取材なので、皆さんに聴いていただいたリアクションがまだないから、どう受け取られるか分からないんですけど、曲を書いている段階で僕が思ったことは、15年やらせていただいたことで1周回ってまたカラオケで歌いたい人のことを考えない曲を作ろうということになっているんですよ。
──というと?
高橋:ファーストアルバムのときは、それしか出来ないから感情垂れ流しで曲を書き殴ってそのまま歌って、「どうだ、俺しか歌えないんだこの歌は!」と牙を剥いて歌っていたけど、この15年を考えるといろんなタイアップをいただいて、例えばアニメのタイアップをいただいたときには、アニメを観る子供たちが口ずさめる曲がいいかもしれないとか、姪っ子たちが小さいときには小さい子たちにも歌ってもらえる曲が書きたいとか。
それならカラオケで歌いやすい曲ってどういう曲だろうというのを考えて書いてた時期も結構あったんですよ。
そこから今は、誰かが歌えるかはさておき自分が歌う、自分のクセを全面に出して歌いたい。色を濃くやりたいなと思ったときに、気遣いみたいなものよりは、高橋優味濃厚な一店舗型ラーメン屋さん、チェーン展開する気ゼロみたいな(笑)。行列が出来る一店舗型ラーメン屋さんになろうと思ったんです。
高橋優でしか味わえないアルバム。"〇〇っぽい"がないアルバムにしたいなと思ったんです。高橋優の色をここでもう一度ちゃんと出したいなって思って書いている感じはありましたね。