励まされても伝えられなかった想い
マカロニえんぴつと言えば、数々のCMや映画、アニメの主題歌を担当しており、若者を中心に話題になるロックバンドです。そんなマカロニえんぴつが2025年1月3日に発表した楽曲『然らば』はアニメ『アオのハコ』の第2クールのオープニング曲として作成されました。
等身大のキャラクター達と、“誰かを好きになった時”の心の機微を繊細に描く『アオのハコ』のオープニングとして『然らば』は青春における恋心の厄介さを如何に表現しているのかを考察していきます。
----------------
もう捨てようか
かじかんだ手のなか 転がしてる気持ち
≪然らば 歌詞より抜粋≫
----------------
曖昧な始まりです。
「もう」と言っているところから、何度も「捨てよう」と思いながら留まってきたことが伝わってきます。
また、「捨てようか」という言い方にも、決めきれない迷いの感情を読み取ることができます。
「かじかんだ手」「転がしてる」という表現も同様です。
静かに諦めようとすることに対する迷い。
そこに「くじけるな!」と叱咤の歌詞が入ってきます。
そして、『然らば』の中で唯一のカギ括弧の歌詞が続きます。
----------------
「まだまだ間に合うから」
はだしの心で駆けてゆく
≪然らば 歌詞より抜粋≫
----------------
捨てようか、と思っていた気持ちを「まだまだ間に合う」と背中を押してくれます。
まだ間に合う、ではないんです。
「まだまだ間に合う」んです。
なんて、心強い励ましでしょうか。
そりゃあ「はだしの心で」意中の人の元へ行こうとするのも納得です。
しかし、その励ましも虚しく次の歌詞では「伝えられなかった」と歌われます。
青春時代に好きな人を前にして素直に自分の気持ちを伝えられることなんて滅多にありません。
緊張するし、時には変な意地をはって強がってしまう。
そのたびに自己嫌悪に陥るまでが青春における告白ではないでしょうか。
始まりは常に遅れてきた「もう」

曲の冒頭に捨てようと思っていたものは恋心なのでしょう。
それさえなければ、変わらない関係で居続けることができるのですから。
----------------
たぶん実らない恋かもね じつに情けない愛だよな
もう、嘘にしてしまうには大きすぎて
また好きだと気づいて 傷ついて
≪然らば 歌詞より抜粋≫
----------------
しかし、「もう 嘘にしてしまうには大きすぎ」だと分かっています。
ここでも歌いだしと同じ「もう」が出てきます。
時間が経ちすぎて、育ってしまった恋。
捨てられないし、嘘にも出来ない気持ち。
意中の人に会えばまた好きだと気づくんです。
「また」ということは、再確認していることが分かります。
そして、そんな自分に「傷ついて」しまう。
青春の真っ只中にいる時、恋が純粋に楽しいだけのものではないと分かってしまいます。
恋は自分、あるいは他人を深く傷つけてしまいます。
必ずではないけれど、そういう可能性を孕んでいるんです。
だから、心に秘めてしまう。
傷つかないように。
傷つけないように。
なぜ「シンビジウム」は咲き遅れるのか

----------------
捨てようがどうせ拾いに戻る 泳がしてる気持ち
砕けるな!まだまだ足らない不幸も
咲き遅れのシンビジウム 然らば
≪然らば 歌詞より抜粋≫
----------------
歌いだしへのアンサーのような歌詞です。
「捨てようがどうせ拾いに戻る」そして、最初に入ってきた「くじけるな!」と同じように「砕けるな!」と叱咤されます。
続く歌詞は少々不可解です。
「咲き遅れのシンビジウム」?
シンビジウムを調べるとラン科の植物で、花も咲かせます。
花言葉は「華やかな恋」「高貴な美人」「誠実な愛情」「素朴」です。
そして、「然らば」。
然らばは一般的な会話で使うなら「それならば」「そうしたら」です。
「咲き遅れのシンビジウム 然らば」はあえて分かりにくくなっています。
なぜ、このような表現になっているのでしょうか。
それは、この恋心が自分を深く傷つけると分かっているからでしょう。
それでも、もうなかったことにできないから。
せめてもの抵抗のように自分の想いを隠したのが「咲き遅れのシンビジウム 然らば」になっていると考えれば納得できます。
そして、そうする他なかった恋心の深さを思うと切なくなってきます。
また好きで、まだ好きで「傷ついて」

----------------
たとえ実らない恋でもね じつに情けない愛でもさ
もう、嘘にしてしまうには悲しすぎて
まだ好きだと気づいて 傷ついて
≪然らば 歌詞より抜粋≫
----------------
前半の繰り返しですが、表現が少し変わっています。
「たぶん実らない恋」が「たとえ実らない恋」になっており、嘘にしてしまうには「大きすぎて」が「悲しすぎて」になり、「また好きだと気づいて」は「まだ好きだと気づいて」。
そして、結論は変わらず「傷ついて」います。
この傷は二つのフレーズを比べれば深く痛々しいものに変わっています。
それでも「まだ」意中の人を好きでいる自分はいるんです。
終わりかけで、報われることのない恋心を抱えたまま、それでも気持ちはまだあって、なんとか自分を慰めようとしています。
『然らば』は恋を諦める歌詞であると同時に、もう終わることが分かっていながら、それでも強がって微かな繋がりを求めてしまう歌詞のように思います。
千の夏と蝶

最後に繰り返しのフレーズがあります。
----------------
舞い切った千の夏と蒼、遮って蝶になった嘘
≪然らば 歌詞より抜粋≫
----------------
これは『アオのハコ』を読んでいるとピンときます。
「千の夏」は主人公、猪股大喜が好きになる先輩である「鹿野千夏」を連想させます。
そして、「蝶」は猪股大喜を好きになってしまうクラスメイト「蝶野雛」が浮かびます。
作詞作曲を担当したはっとりが『アオのハコ』の原作マンガを丁寧に読み込んでいることが『然らば』からは窺うことができます。
原作ファンはもちろん、アニメを通して『アオのハコ』を好きになった人をも魅了させる一曲になっていますので、『然らば』を聞きながら大喜、千夏、雛の青春部活ラブストーリーを完結まで追うのも一興だと思います。