誰にとっての「応援歌」なのか
大原櫻子は映画『カノジョは嘘を愛しすぎてる』のオーディションで、5000人の中からヒロイン役に抜擢されて女優と歌手デビューを果たしました。映画内で流れた歌声はキュートかつエネルギッシュなことで一躍注目を集め、翌年にはソロ名義で1ndシングルを発売。
続く2ndシングル『瞳』にて、「第66回NHK紅白歌合戦」にも出場を果たします。
また、『瞳』は「全国高校サッカー選手権応援歌」に採用されたことでも話題となり、10年の月日が経った2024年にも大原櫻子がインスタグラムにて「全国高校サッカー選手権大会」に触れて、今なお多くの人の記憶に残っていることが伺えます。
そんな『瞳』の歌詞は当時18歳の大原櫻子が実際の試合を見に行って、「その時の景色や感じたことを歌詞に入れました」とインタビューで語っています。
また、リリース当時は「同世代の選手の方にも共感してもらえるように、私の素直に感じた高校の時の青春をありったけ歌詞に込めました」という言葉も残しています。
今回は18歳の大原櫻子が「ありったけ」の青春を詰め込んだと言う『瞳』の歌詞の意味を考察していきます。
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最後の1秒まで
集めたこの思い
積み重ねてきた毎日は
君のこと裏切らない
≪瞳 歌詞より抜粋≫
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歌い出しから「最後」です。
終わりのその瞬間から『瞳』は始まります。
「全国サッカー選手権応援歌」に採用された背景を考えれば、この歌い出しの「最後の1秒」は試合のこととして考えて良いでしょう。
部活動の多くは試合やコンテストといった一つの目標に向かって頑張っている時間がほとんどです。
そんな「積み重ねてきた毎日は」「君のこと裏切らない」と大原櫻子は肯定します。
ちなみに、誰もが承知のことだと思いますが、「応援歌」を調べると「主にスポーツの試合で味方の選手やチームを励ますために歌う歌」と出てきます。
ここで注目すべきは「味方の選手やチームを励ますため」のもの、ということです。
応援歌はどちらかに肩入れした上で歌われるものです。
しかし、「全国サッカー選手権応援歌」は特定の選手、チームだけを応援するわけにはいきません。
出場するすべての選手にとって自分を励ましてくれている、と感じられる歌詞でなければなりません。
そのような前提を踏まえて『瞳』の「積み重ねてきた毎日は裏切らない」は、青春の最中一つのことに向かって頑張る多くの人の背中を押すメッセージになっています。
語りの「僕」は誰なのか

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まっすぐに夢を追いかける
君の瞳が大好きだよ
そんな君と一緒にいれること
今は大切にしたい
≪瞳 歌詞より抜粋≫
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『瞳』は常に「君」へ語りかける形で進行していきます。
後の歌詞で、この語りかける主体が「僕」であることが分かります。
「僕」は「まっすぐに夢を追いかける」「君の瞳が大好きだよ」と言いながら、「そんな君と一緒にいれること」とも続けます。
青春の最中で頑張る人に対して「大好き」だと肯定し、「一緒にいれること」と傍にいることを示唆します。
しかし、「君」の瞳には「まっすぐに夢を追いかけ」ているため、「僕」は映りません。
それでも、「僕」は一緒にいられる今を「大切にしたい」と健気に思っています。
この「君」と「僕」の関係性は何を意味しているのでしょうか。
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涙だって笑顔だって
がむしゃらになった証だよ
そんな君と一緒に生きること
僕は誇りに思うよ
≪瞳 歌詞より抜粋≫
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涙も笑顔も「僕」は「がむしゃらになった証」だと肯定してくれます。
そして、「そんな君と一緒に生きること」を「誇りに思うよ」と言ってくれます。
さきほどにも似たフレーズ「そんな君と一緒にいれること」がありました。
「一緒にいれること」と「一緒に生きること」はどう違うのでしょうか?
この「僕」は青春の一時だけ関係する誰かではないのでしょう。
クラスメイトとか、マネージャーとか、そういう具体的な関係を持つ誰かであれば「いれること」だけで良いはずで、「生きること」はその後の人生まで関係するような仄めかしは必要ありません。
では、後の人生まで仄めかす「僕」は誰なのでしょうか?
続く歌詞を見ていきましょう。
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誰かを傷つけたり
何かを犠牲にしたり
これでいいのかわからなくなる
そんな時も仲間がいる
≪瞳 歌詞より抜粋≫
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試合の残酷な面は、サッカーであればコートに立てるのは11人のみであることです。
また、試合はただ頑張ることに価値があるわけではなく、明確な勝敗に価値があります。
勝つために練習してきて、勝つために試合をします。
それは必然的に「誰かを傷つけ」「何かを犠牲に」します。
サッカー部のメンバー全員が試合に出れるわけでも、大会に参加したチームすべてが勝てるわけでもありません。
その上で、試合に勝ったからと言って人生が好転するとも限りません。
勝ったという事実以外何も得られないかもしれません。
青春の「積み重ねてきた毎日」を疑って「これでいいのかわからなくなる」時があったとしても不思議ではありません。
それでも『瞳』は「そんな時も仲間がいる」と言います。
一人じゃないことは一つの励ましになります。
ただ、ここで疑問になるのは「仲間がいる」であって、「僕」がいるではない、ということです。
「君の瞳が大好きだよ」と全肯定してくれる「僕」こそ、「君」が迷った時に手を差し伸べてくれそうなものです。
おそらく、「僕」に実態はないのです。
「青春」そのものに自我をもたせた存在、それが「僕」です。
そう考えれば「君」の瞳に「僕」が映らないのもの当然ですし、「君と一緒にいれること」「今は大切にしたい」という歌詞からも、青春はいつか終わってしまうものだと考えれば納得ができます。
「君」は大人になっていく

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今ここは通過点
明日は君を待っている
≪瞳 歌詞より抜粋≫
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「青春」は「通過点」です。
誰もが青春を終え、大人になっていきます。
明日の「君」は少しだけ「青春」から離れ、大人へと近づいていきます。
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ありのままの君の姿
いちばん輝いているよ
終わりがあって始まりがあって
心は強くなれるよ
≪瞳 歌詞より抜粋≫
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明日を迎える度に大人になるとしても、青春は「ありのままの君の姿」を「いちばん輝いてるよ」と肯定してくれます。
続く「終わりがあって始まりがあって」という歌詞はまさに大人になるプロセスです。
青春時代につまずいて、大切なものを見失っても、また始める経験が心を強くすることは間違いありません。
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そんな瞬間を駆け抜けていく
明日の自分信じて
≪瞳 歌詞より抜粋≫
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「青春」は振り返れば早かったと思うものです。
そして、ここは「君」ではなく、「自分」です。
「明日」は大人になることですから、青春の最中にいる今の「君」を信じて、ではなく明日にいる大人の「自分」を信じて、というメッセージになるのでしょう。
今を頑張って「駆け抜けていく」なら大人になった自分も大丈夫だ、と暗に伝えているところが素晴らしいですね。
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今君が見ている景色
聞こえている風の音
その全部が君のこと応援しているよ
≪瞳 歌詞より抜粋≫
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景色も風の音も、どこでも感じることができるものです。
「その全部が君のこと応援してる」というメッセージは、どこにいても「君」を応援している存在はいるよ、という心強い励ましになります。
だから安心して、と伝えたいのでしょう。
何かを頑張ろうと思う時、誰も自分を見ていない誰も応援してくれないことが心の枷になる瞬間があります。
『瞳』は徹底的に普遍的な誰もが持っているものを使って、あの手この手で応援しよう、という気概が伝わってきます。
そして、最後のフレーズです。
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涙だって笑顔だって
がむしゃらになった証だよ
そんな君と一緒に生きること
僕は誇りに思うよ
ずっと誇りに思うよ
≪瞳 歌詞より抜粋≫
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前半の繰り返しですが、一つだけ違います。
「僕は誇りに思うよ」の後に「ずっと誇りに思うよ」と、この先をも保証するようなメッセージで『瞳』は終わります。
青春をのぞく時、青春もまた「君」を
有名な格言に「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」というものがあります。『瞳』の「僕」が、実態を持つ「青春」だった場合、「君」はまっすぐ青春を見ていたことになります。
「君」が青春の日々を誇りに思う時、青春もまた「君」のことを誇りに思っているのだ、と『瞳』の歌詞から考えることができます。
『瞳』は非常に優しいメッセージ性に包まれています。
ぜひ、頑張り疲れた時やこれでいいのかわからなくなった時に聴いて励まされてみてはいかがでしょうか。