過去の楽曲を封印し1980年にダウン・タウン・ファイティング・ブギウギ・バンドと改名したのだ。
その楽曲群を聞いていると、マーケットに対する音作りではなく音楽としての音作りを優先させていると理解できる。
改名前よりシリアスな楽曲も多く信念を貫いているせいか説得力が増している。彼らは音楽として挑戦することを忘れない。
世代間の違いはあるだろうが、やはり「アンタ、あの娘の何なのさ」という歌詞はもはや国民的なフレーズになっている。
フレーズが先走りして、同フレーズを歌っているのが誰であるかを知らなかった人も中にはいるのではないだろうか。
同フレーズを生み出したのはダウンタウンブギウギバンドであり、さらに言えばボーカル宇崎竜童と作詞家・阿木燿子の深い仲があり生まれたのだ。
ボーカル宇崎は同曲が発売される前から妻となる阿木の作詞家としてのセンスを見出していたという。
今回は二人の音楽家としての関係に触れつつ、大ヒット曲「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」の魅力に迫りたい。
ダウンタウンブギウギバンドの「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」
“一寸前なら憶えちゃいるが一年前だとチト判らねェなあ
髪の長い女だってここにゃ沢山いるからねェ
ワルイなあ 他をあたってくれよ
アンタあの娘の何んなのさ
港のヨーコ ヨコハマ・ヨコスカ”
同曲は阿木の作詞から始まったそうだ。二人は息の合ったコンビで数々の名曲を生んでいるが、この詞はどう作曲すればいいか宇崎は困惑したという。
同曲に限らず阿木の詞はストレートに書かれたものは少なく、リスナーに想像力を与え情緒を生む。
同詞を見ても「判らない」を「一年前」という限定した形にすることにより、リアリティが増しているのがわかる。
さらにその後の一言「髪の長い女だってここにゃ沢山いるからねェ」でこの話している人物のキャラクター性が一気に垣間見える。
多くのリスナーは「港」にいる少しがさつで人情味のある人物が頭に浮かぶのではないだろうか。
作詞家とはある意味で「リスナーに想像させる」という仕事であり、阿木は十二分にそれを心得ているのだ。
作詞家として駆け出しの頃に書かれた同曲であるが、夫である宇崎は作詞家としての彼女の力量を誰よりも理解していたはずだ。
“半年前にやめたハズさアタイたちにゃ アイサツなしさ
マリのお客をとったってサ そりゃもう大さわぎ
仁義を欠いちゃいられなやしないよ
アンタ あの娘の何んなのさ
港のヨーコ ヨコハマ・ヨコスカ”
阿木の詞を見てどういった曲にするか悩んでいた宇崎竜童はトーキング・ブルースからヒントを得た。
トーキング・ブルースとはその名の通り、ブルースのリズムの上で話していくスタイルだ。
このスタイルは言葉がすっと耳に入り、歌詞の意味がより伝わりやすい。
セリフというのはメロディがない分、人々は言葉の内容をより注意深く聞くのだ。
「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」は物語性の強い歌詞であり、この話すスタイルがぴったりはまっているのだ。
ブルースに選ばれた男たちの音楽は永遠
“ハマから流れて来た娘だね ジルバがとってもうまくってよお三月前までいたはずさ 小さな仔猫を拾った晩に 仔猫といっしょにトンズラよ
どこへ行ったか知らねェなあ
アンタ あの娘の何なのさ
港のヨーコ ヨコハマ・ヨコスカ”
「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」の歌詞を見れば気づくが、その構成に驚かされる。
誰かが証言している、つまり「伝聞」を使い作詞を行っている。意識的かどうかは不明であるが、作詞家としてのセンスを感じざるを得ない。
そこにトーキングスタイルを見出した宇崎竜童のセンスにも脱帽だ。トーキングスタイルの使用により言葉は生々しく伝わる。
さらに宇崎のダンディな声と男らしい面構えはよりブルースをそれらしくさせている。
また「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」は美しいコーラスに和田のギターソロがあってこそ成り立つということを忘れてはいけない。
心を打つトーキングブルースは極上の演奏の上にしかなり得ないのだ。
「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」は様々な要素があってこその名曲なのだ。
何よりダウンタウンブギウギバンドの音楽からは純粋なブルースの魂を感じられる。
歌声に演奏に容姿、彼らはブルースに選ばれた男たちなのだろう。
TEXT:笹谷創