中島みゆき「二隻(そう)の舟」
初めてこの曲を聴いたのは、29年前の初回の「夜会」だった。その深い世界に引き込まれたときの感動を今でも鮮明に覚えている。
ドラマチックなこの歌を聴いているときに、確かに歌い手と観客は「ひとつ」だった。
「ひとつ」はこの曲のキーワードになっている。
船ではなく、「舟」である理由
----------------(中略)
難しいこと望んじゃいない
有り得ないこと望んじゃいない
≪二隻の舟 歌詞より抜粋≫
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おまえとわたしは たとえば二隻の舟
暗い海を渡ってゆくひとつひとつの舟
互いの姿は波に隔てられても
同じ歌を歌いながらゆく二隻の舟
≪二隻の舟 歌詞より抜粋≫
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恋人や夫婦ならば、どうしても「運命共同体」という面を持つ。
二人で一艘の船に乗って人生の海を渡っていくものだろう。
しかし、この歌の「おまえとわたし」は「二隻」の舟に乗って暗い海を渡っていく。船ではなく舟で。
一人しか乗れない小さな舟なのだろう。
そして二艘ではなくて、二隻なのだ。
「隻」という漢字は「ひとつの」という意味を持つ。
つまり、ひとつひとつの舟は二つに分かれているのではなくで、二つで「ひとつ」なのだ。
ひとつひとつのものを大きく包み込み、強く結びつけて「ひとつ」にする愛がそこにはある。
1+1=1の世界が示されている。
二人はひとつの船に一緒には乗れない事情がある。
恋人でも夫婦でもない関係で、安定した船に乗ることはできない。
一般的には「難しいこと」でも「有り得ないこと」でもないが、この二人にはどうにもならないことなのだ。
それでも「同じ歌」を歌うことを「わたし」は幸せだと思っているのではないか。
「超えてゆけ」は中島みゆきからのこの上ない愛の言葉
----------------(中略)
敢えなくわたしが波に砕ける日には
どこかでおまえの舟がかすかにきしむだろう
それだけのことでわたしは海をゆけるよ
たとえ舫い網は切れて嵐に飲まれても
≪二隻の舟 歌詞より抜粋≫
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おまえの悲鳴が胸にきこえてくるよ
越えてゆけと叫ぶ声が ゆくてを照らすよ
きこえてくるよ どんな時も
≪二隻の舟 歌詞より抜粋≫
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嵐の中、「わたし」の舟は波に砕けてしまう。
ここでの「超えてゆけ」は、相手のプライドを傷つける、上から目線の「励まし」ではない。
相手の苦痛を自分のことのように感じて苦しんで叫ぶ「悲鳴」なのだ。
そこには「相手が~してくれるのが愛の証」と思うような相手に求める愛はない。
また、「私を愛しているなら~すべき」という利己的な愛もない。
「嵐を超えて幸せになって欲しい」と、ただただ相手の幸せだけを願う無償の愛が当たり前のように描かれている。
相手と「ひとつ」になって、相手の痛みを感じながら。暗い海の中で同じ歌を歌いながら。
相手の幸せだけを願う無償の愛。
二隻の舟のゆくてを照らす、道しるべとなるものは、夜空に輝く星ではない。
たとえ姿が見えなくても、相手の舟が波に砕けたならば、身体(からだ)をきしませ悲鳴をあげるもう一隻の舟との絆なのだ。
人と人との絆がゆくてを照らす星になる。
二隻の舟は永遠に「ひとつ」である
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風は強く波は高く 闇は深く星も見えない
風は強く波は高く 暗い海は果てるともなく
風の中で波の中で たかが愛は木の葉のように
わたしたちは 二隻の舟 ひとつずつの そしてひとつの
わたしたちは 二隻の舟 ひとつずつの そしてひとつの
わたしたちは 二隻の舟 ひとつずつの そしてひとつの
わたしたちは 二隻の舟 ひとつずつの そしてひとつの
≪二隻の舟 歌詞より抜粋≫
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二隻の舟は永遠に「ひとつ」である。
結んだ絆は、例え一方が波に砕けた後も永遠に生きてゆく。
そう思わせる力強さと深さが、「二隻の舟」の歌詞にはある。
もう会えなくなってしまった人とも、かつて結んだ絆があるなら、その人とのつながりは永遠なのだという希望を、「二隻の舟」の重厚な歌詞全体で中島みゆきは伝えている。
高い波の中、木の葉のように翻弄される愛。
それでも、ひとつずつの二隻の舟の愛は「ひとつ」なのだ。
この歌は中島みゆきからの応援歌である。
TEXT 三田綾子
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