ファンにとって『BLUE BIRD』は、ayuとの絆を感じる、心のビタミンソングになる。その理由は、ayuがこれまでに出会い経験し得た、3つの愛からなる”同志への想い”にある。
中でも『BLUE BIRD』という曲は、夏の恋を盛り上げる“恋歌”として幅広く聴かれているだろう。
平成の歌姫、浜崎あゆみ。彼女の楽曲は、愛情や恋愛、心の傷に寄り添う歌詞で多くの人を惹きつけてきた。
今回は、この『BLUE BIRD』が持つ魅力はもちろん。ファンだからこそ見抜けた、この曲に込められたayuの想いを紐解いていきたい。
「BLUE BIRD」は聴く人によって全く響き方が変わる名曲
浜崎あゆみ。ayuの愛称で呼ばれ、多くの人がその歌と容姿に心を奪われた。しかし彼女のことを心から愛する人が、本当に想いを寄せているもの。それは、彼女のその“心”だ、という事を深く感じるのが『BLUE BIRD』である。
もちろん、ファンとの絆や感謝を伝える歌は『BLUE BIRD』よりも、『MY ALL』『Who…』などが分かりやすくあてはまる。むしろ一般的に『BLUE BIRD』は、夏を彩る恋歌に分類されても良いと思うのだ。
だがファンが聴く『BLUE BIRD』は、ただの夏歌でも恋歌でもないのだ。彼女が持つ、奥深い心の一番の理解者であるファンには“彼女との絆”を感じる曲なのだ。それは、彼女が歌と共に生きる人生の中で出逢った“3つの愛”が込められているからだ。
自分の経験した事以外は歌にしない
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グレーな雲が流れたら
この空が泣き止んだら
君の声で目を覚ます
ちょっと長めの眠りから
君はそっと見守った
この背の翼
飛び立つ季節を待って
言葉は必要なかった
居場所はいつもここにあった
≪BLUE BIRD 歌詞より抜粋≫
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浜崎あゆみは、自分の経験した事以外は歌にしないと言う。その言葉から彼女の初期作品である『A song for XX』は、彼女自身の事を歌っていると言える。そんな彼女自身を歌った『A song for XX』は『BLUE BIRD』と対峙しているのだ。
『A song for XX』から『BLUE BIRD』の歌詞を読むと『BLUE BIRD』でayuが、いかに時を経て多くの愛に救われたかを実感する。
それ程に過去の彼女は、愛の不確かさや人の身勝手さから生まれる孤独に傷ついていた。その傷を『A song for XX』のモノクロを想像する曲長と歌詞に乗せ、不信感でいっぱいな悲鳴に似た声で歌い表現している。
打って変わって『BLUE BIRD』は、前奏からすでに未来への確かな幸せと明るい希望が伺えてしまうのだ。あんなに傷を負っていた彼女の描く、幸せと希望が静かにキラキラと幕をあけるのを感じる。
その胸の高鳴りは、曲中の「言葉は必要なかった」「居場所はいつもここにあった」が原点だ。
この二つの歌詞は『A song for XX』で歌った自分自身が、過去になった事を言い切った。彼女が抱えた傷は、もう癒えたのだ。あの頃の彼女は「居場所がなかった」「見つからなかった」「未来には期待できるのか分からずに」いたのだから。
彼女の傷を癒やしたものは…
そんな彼女の傷を癒したのは、一体何だったのか。一番に挙げられるのが、ファンの存在だ。グレーな雲が垂れ込めて、この空が泣き止まない様な不安な時も、その背中を「そっと見守った」。本当はそんなに強くない彼女も、無理に大人ぶらずに子供の様に、素直に泣き笑いする彼女も。
例えそれが、世間からイメージされ求められる姿とは違っていても。どんな彼女も一杯の笑顔や声援で認めてきた“確かな存在”=「君」。それは間違いなく彼女にとって“信じられる存在”そして、安らげる“居場所”となったのだ。
ayuらしい愛情表現
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『青い空を共に行こうよ
白い砂浜を見下ろしながら
難しい話はいらない
君が笑ってくれればいい』
そう言って僕に笑いかけた
『青い空を共に行こうよ
どこへ辿り着くんだとしても
もしも傷を負ったその時は
僕の翼を君にあげる』
そう言って君は少し泣いた
≪BLUE BIRD 歌詞より抜粋≫
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二つ目の愛、それは“恋愛”から生まれる“愛”。愛と呼ばれる感情の中で、誰しもが経験する感情ゆえに一番分かりやすく、とてもayuらしい表現だ。
ayuは、自分が信じた人や物に対して自分の心のすべてを差し出し、真摯に愛を伝える。
きっとそれは、虚栄心に満ちて嘘がまるで真実かのように見えるショービジネスの世界の中で“どうすれば真実を伝えられるだろうか”と、苦しみ続けた末の表現方法なのだろう。
『BLUE BIRD』の歌詞を眺めると、『』で括られた部分と、そうでない部分が存在する。
それは、ファンへの感謝と信頼を込めた愛情表現。そして、恋人への想いを込めた愛情表現とで分けられているのだ。
『』で括られた歌詞は、恋人への想いを会話にして描いている。まるで思い出を語るように、ふたりが離れ離れになったとしても「君が笑ってくれればいい」と愛しい人の幸せを、悲しいほど願っている。
この頃のayuにとって“大切な人”と言えば、思いつくのは二人の男性だ。あえて名前は出さないが、二人共が彼女を支え強くしたと思うのだ。ファンが“ayu”を支え強くしたように。
3つ目の愛は、ayuにしかできない巧妙なトリックの中に
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『青い空を共にに行こうよ
どこへ辿り着くんだとしても
もしも傷を負ったその時は
僕の翼を君にあげる』
そう言って君は少し泣いた
こらえきれずに僕も泣いた
≪BLUE BIRD 歌詞より抜粋≫
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『BLUE BIRD』の中に最後、ayuらしい巧妙なトリックで隠されている“愛”。それは“人間愛”だ。
人が人を大切に想うこと。恋愛だけではなく、仲間や同志として、人と人が出会い生まれる愛情は、恋愛感情だけではない。そのことを、この最後の一節で表現している。この愛は、彼女が得た最大で最強の愛だ。
『BLUE BIRD』には、“君”と“僕”と“君から見た僕”と“僕から見た君”が存在している。ayuは、歌で“自分”を“僕”と表現する。それに対し“君”は、ここでは“ファン”と“大切な存在”のことだ。
しかし、最後の一節は“僕”と“君”が、その意味のボーダーラインを超えて“僕”だけになっているのだ。歌詞をよく読むと、それが浮かび上がる。
「もしも傷を負ったその時には、僕の翼を君にあげる」と言ったのは“僕”。そう言って泣いてしまった君(僕)を見て、「こらえきれずに、僕も泣いた」。
わかるだろうか。此処で涙を流しながら、お互いの笑顔、幸せであることを切に願うのは“僕”と“僕”なのだ。
その意味は、“僕”と“僕”は、“私(人)”と“私(人)”=同志。
ayuが自分を僕と歌うのは、女性ではあるが、性別を超えて“一人の人間でありたい”“一人の人として人を愛したい、愛されたい”と願う心の表れなのではないかと思う。
同志とは、過ごした時の中で、様々な物事を乗り越えて心を分け合ってきた存在のこと。
それは、恋人でもファンでも、出会い方は違えど。必ず最後に、成長としてたどり着く心の場所、感情だ。それが愛の意味であり、あゆが『BLUE BIRD』で伝えたかった“愛の形”なのだ。
翼の意味は、愛と夢でつながる心
二人の恋人もファンも、彼女にとっては必要不可欠な愛だ。たとえ、離れ離れになったとしても、出会って想いあって生まれた愛は決して消えない。
ayuはそう信じているから、「傷を負ったその時には、僕の翼を君にあげる」と歌うのだ。
「翼」は“愛”と“夢”を意味している。ayuを支える全ての愛は、彼女がステージに立ち続ける唯一無二の真実だ。
ayuは素晴らしい愛を得た。その愛を教えてくれた存在に向け、“孤独から私を見つけてくれたあなたを、一人にはしない”。
”これからも”同志”として共に行こう!”、と強い愛と信頼を込めて歌う。だからこそ『BLUE BIRD』は、ファンが聴くと“絆を感じる曲”になるのだ。
TEXT 後藤かなこ