えっ、これが畑亜貴?!
──このたび、アーティスト畑亜貴としてシングル『蜿蜒 on and on and』を配信リリースします。畑さんといえば、可愛らしい表情からシリアスな内容まで、作家として作品の世界観へ寄り添う歌詞を書き続けている方。でも、ご自身の活動で表現しているのは、作家として見せる表情とはまったく異なる非常に独創的な世界観。アーティスト畑亜貴として描いた音楽こそ、畑さん自身の本質ですよね。畑亜貴:まさに、わたしの本性と言いますか、正体はこちらです(笑)。『蜿蜒 on and on and』もそうですけど、アーティスト畑亜貴として作り上げた曲たちは、どれも自分らしいと思います。でも、アニメの曲を通してわたしの名前をご存知の方がこれらの楽曲を聴いたら,“えっ?? 怖い!可愛くない!”と驚かれるんじゃないかとも思っています(笑)。
──間違いなく、驚きますよ!!作家としても幅広い表現枠を見せていますが、そことはまた違う姿をアーティスト畑亜貴として見せてきますからね。
畑亜貴:仕事の場合、求められることに応えることへ力を注いでいますけど。自分自身が好きにやっていいとなると、こうなってしまいます(笑)。
──それにしても、この振り幅は驚きですよ!!
畑亜貴:みなさんもそうでしょうけど、自分でも“畑亜貴の作風って一体何?”と思います。作家としては、シリアスな物語から「ラブライブ!」のようなアイドル系の世界観まで振り幅広く書いていますけど。どれも作詞をしていてすごく楽しいこと。そのうえで、やっぱり分の本質は、こっち(アーティスト畑亜貴)なんだなぁとも感じています。
──最新シングルとして配信する『蜿蜒 on and on and』『砂海パラソル』ともに前を向いてる内容とはいえ、全体的にネガティブな表現が主軸になっていますよね。
畑亜貴:本質が明るくないからしょうがないんです(笑)。日々、“自分はなんのために生きてるんだろう”“人はなんで生きてるんだろう”と考えていますから。
──『蜿蜒 on and on and』の歌詞にも、「去ったら去ったら星になるかい? 灰だよ 灰だよ 夢見ただけ」のような、人生を達観視した歌詞も記しています。
畑亜貴:結局のところ、人は(誰もが死んだら)灰になるこことは間違いないじゃないですか。そこへ至る過程の中、自分は何ができるのか、何を成そうとしているのか。もしかしたら、道半ばで灰になってしまうのか…。たとえそうであったとしても、それでも何かを追求する勇気が自分の中にあったらいいなと思って、『蜿蜒 on and on and』の歌詞を書いています。
──だから、歌詞の中にも「だけどさ抗うんだ」と書いているわけだ。
畑亜貴:現実を見据えてゆくと、重い通りにいかないことばっかりだし、いろいろ嫌になっちゃうことも多いじゃないですか。だからと言って、“思い通りにいかないから辞める”のは、あまりにも情けない選択。とにかく“乗り越える勇気と抗う気概を持っている自分でありたいな”という思いが、その言葉を導き出しました。
今、自分が感じている気持ちへ忠実でいたい。
──畑亜貴として作る楽曲は、現実を直視しながら作ることが多いのでしょうか?
畑亜貴:そうです。非現実的な夢を描くのではなく、今、自分が感じている気持ちへ忠実でいたいし、それを表現したいと思っています。
──そこは、作家として向かう姿勢とは違うスタンスですよね。
畑亜貴:いろんなルールの中で作ってゆく作家活動と、まったくルールのない中で自分を解き放つように作り上げるアーティスト活動はまったく異なるもの。その両極端を持って作っていくことが、(表現者としての)自分には一番合っている気がしています。
──『蜿蜒 on and on and』は歌詞にも注目ですけど。ものすごく緻密に音を構築したオーケストラのような演奏も非常に魅力的です。1曲を作りあげるまでにも…。
畑亜貴:そうとう時間がかかっていますね(笑)。歌詞もサウンドも、意味のない言葉やフレーズを入れたくない。“どうしてこのフレーズを使ったのか”“どうしてこの言葉だったのか”。そこに必然性がなければ、自分の中で駄作なんです。“ここの歌詞はこれでなきゃ駄目”“まだ、この言葉は自分を取り繕っている”“この表現を意味する音はこれでなきゃいけない”という確固たるものだけを積み重ね、疑問が生じたものは、一度できあがっていても壊して排除していきます。 それこそ、もやしの鬚根を一つ一つ手で丹念に取り除き、本当にあるべき姿まで求めてゆく作業のように、どうしても製作に時間はかかってしまいます。
──そういうとき、作家の仕事とのバランスはどのように取っているのでしょうか?
畑亜貴:一度、脳を中断するというか、脳内冷蔵庫にしまっておきます(笑)。“これはこれで一度置いといて、次はこちらの世界へ意識を切り換えて”作業を進めています(笑)。
作家として創作するとき、そこに自分は存在していません。
──作家として歌詞を書く場合、そこへはどの程度自分の意識や考えを注いでゆくものなのでしょうか?畑亜貴:作家として創作するとき、そこに自分は存在していません。あくまでも、作品ありき。“この作品で、このアーティストが歌う”となったとき、“その作品とアーティストが、どうお互いを高めあってゆけるのか”。“その曲を、そのアーティストが歌う意味とは何か”。“その作品の世界観やアーティストの成長や広がりをどう描いてゆくのか”。そういうプロデュース的な視点で捉えたうえで、“じゃあ、この作品の歌詞はどういう風に見せてゆこうか”となって、初めて歌詞を書き始めます。だから、そこに自分の個人的な感情は介在していません。と言いながらも、書いているのが自分であり、自分の中から出てくる言葉である以上、そこに畑亜貴がまったくいないわけではないですけど。でも、基本は自分の意識以外のところで創作へ向かっています。
──畑さんの場合、その表現幅がすさまじく幅広いじゃないですか。どんな歌詞をオーダーされても、その世界へ入り込んで書くということですよね。
畑亜貴:毎回戦いですし、それが楽しいんです。だから、どんな曲調や作品でも大丈夫です(笑)。
裏設定まで持って、どの歌詞も書いています。
──改めて、今回の新曲たちが生まれるまでの背景をお聞きしたいなと思っています。
畑亜貴:今回、ランティスさんより畑亜貴として出してきたオリジナル楽曲をサブスク配信することが決まったとき、“それに合わせ、新曲も作ろう”となりました。そのお話をいただいたときに、“今、自分が考えていることって何だろう”と考え始め、そこから自分の内面を深く深く掘り始めました。
自分の内面と向きあうのは、見たくない自分の姿を見ることにもなる。そこあるのは、けっしていいことばかりじゃない。日々、いろんなダークな感情を巡らせているように、その姿と対峙することで“こんな自分情けなくて嫌だな”とも思うし、向きあうことがきつくて痛みも感じます。でも、そこへ痛みを感じるのは、自分が生きてるということじゃないですか。“胸が痛いな”と思えるのは、“今、自分は生きてるんだな”と思えるのと同じこと。じつは、そういう痛みとの同居を歌にしたのが、C/Wに収録した『砂海パラソル』なんですけど。その痛みをごまかすことなく、“生きること自体が痛みあることなんだ”。そういう痛みの正体を確かめるように書いたのが、今回の2曲になります。
──今は、痛みに寄り添うことで心救われる人たちが多いです。この2曲も、そうなっていく予感を覚えます。
畑亜貴:音楽の中の物語を愛する人たちには感受性の強い人たちが多い。それこそ痛みを感じやすく、傷つきやすい人たちが多い。じゃあ、その痛みとどう向きあうべきか…。その答えは、痛みを認めることしかないんじゃないかと自分は思っています。生きている限りは、痛みがなくなる日が来ることはない。ならば、生きること自体が痛みを伴うことだからと自覚したうえで自分と向きあう。そのほうが、きっと生きやすいんじゃないかと思います。
──まさに、そうだと思いました。
畑亜貴:わたしが日々生きてく中で思っているのは、勇気を持って自分と向きあうこと。自分の痛みと向きあって、初めて夢を見ることができるとわたしは思っていますし、それが畑亜貴の表現の軸になっています。
──どんな歌詞を書こうとも、その本質がぶれることはないわけですよね。
畑亜貴:ないです。だから、根拠なく励ましたりはしません。励ます歌詞を書くとしたら、感情の流れをすくいとった上で書きます。
──それは、ノーテンキなキャラクターの歌にもあるということですよね。
畑亜貴:あります。たとえば「好き好き大好き」としか連呼しない曲であっても、その背景には,「とにかく大好き」「死ぬほど大好き」「好きすぎて苦しくて死んじゃいそう」という思いが詰め込まれている。でも、歌詞にしているのは「好き好き大好き」だけという(笑)。
そういう裏設定まで持って、どの歌詞も書いています。だから、“歌詞ではこう言ってるけど、じつはこの主人公、こういうことを思っているのかな?”と考えてもらえたら、より深く歌詞を楽しめるはず。それに気付いてくれる人がいたときは“気付いてくれてありがとー!”となりますし、それこそが作家としてのやり甲斐にも繋がりますからね。
──それは、ご自身の楽曲にもあることでしょうか?
畑亜貴:自分の楽曲に関しては、ぶっちゃけてます。そこはもう、内蔵まで“どーぞ!!”と見せちゃっていますね(笑)
同じ感覚を持った人たちにこの歌たちも刺さりますように。
──完成した2曲について、今、どんな思いを抱いています?畑亜貴:独創的というか、あまり世の中にはない作品になったのかな。こういう曲たちが世の中にあってもいいんじゃないかと思う曲たちですね。けっして“楽しい”“面白い”と聞く曲じゃないですけど。わたしと同じ趣味の人がほんの少しでもいてくれるのなら、それが自分の希望となり、生きてゆく力にもなっていくように、同じ感覚を持った人たちにこの歌たちも刺さりますようにという思いでいます。
──今回、ランティスよりリリースした過去のオリジナル楽曲たちがサブスク配信になります。これらの楽曲を年代順に聴いていくと、そこから畑さんの意識の変化なども…。
畑亜貴:見えてきます。それぞれの楽曲の中から、そのときの心模様が見えてきます。それと、ぜひヘッドフォンで聞くことを推奨します。とくに新曲の『蜿蜒 on and on and』は、細かいいろんな音が畳みかけるように流れてくれば、どの音もみんな暴れまわっているから、その感覚をぜひ楽しんでください。『砂海パラソル』でも、地球を飛び出し、火星の砂漠にいるような気持ちにもなっていただけると思います。この曲はとくに、1日の終わりに聴いてください。
──最後に、「歌詞の中のお気に入りのフレーズ」を教えてください。
畑亜貴:『砂海パラソル』の頭2行に記した「痛みは日々心を濡らす 私が私である限り」です。これが、「生きる」ってことかなと思います。
TEXT 長澤智典