「気まぐれで手折られた花」
キタニタツヤは2020年8月にアルバム『DEMAGOG』でメジャーデビューを果たしたシンガーソングライターです。メジャーデビュー前からボカロプロデューサーとして楽曲を発表し、数多くのアーティストに楽曲提供も行っていました。
各所で注目を集めていたキタニタツヤの知名度を、メジャーデビュー後にぐっと押し上げた楽曲がTVアニメ『呪術廻戦』の第2期「懐玉・玉折」オープニングテーマ『青のすみか』でした。
『青のすみか』は配信からわずか3か月弱でストリーミング総再生回数1億回を突破し、その年のNHK紅白歌合戦でも披露され話題を呼びました。
そんなキタニタツヤが2025年6月27日より全国公開された『でっちあげ ~殺人教師と呼ばれた男』の主題歌を担当しました。
映画のために書き下ろされた楽曲のタイトルは『なくしもの』。
『でっちあげ ~殺人教師と呼ばれた男』は福田ますみ『でっちあげ―福岡「殺人教師」事件の真相―』を題材にした映画です。
監督はバイオレンスの巨匠と呼ばれる三池崇史で、主演には綾野剛、柴咲コウ、亀梨和也と豪華俳優陣が顔を揃えています。
公式サイトにて、綾野剛がキタニタツヤが書き下ろした主題歌『なくしもの』について「歌詞がいい意味で散らばっていて、必至に手繰り寄せている感じがしました」とコメントしています。
また、キタニタツヤ自身は公式のコメントにて「他者に奪われ壊され摩耗した人間が、全てを取り戻せないことを知っていてなお、再び他者を信じ手をとって立ち上がる強さ」をこの作品から感じ、「詞とメロディに込めました」と発表しています。
2人のコメントの共通点は手です。手繰り寄せることと、再び他者を信じ手をとること。
そして、タイトルの『なくしもの』。
今回は歌詞の中の「手」とタイトルにもなっている「失くしもの」とは何を意味しているのか、考察してみたいと思います。
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「深い霧の中を灯りもつけずに
ふら、ふらり、ひとりさまよい
無邪気な子どもがそう望んだから
気まぐれで手折られた花ひとつ
≪なくしもの 歌詞より抜粋≫
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まず、気になるのが、最初のかぎかっこです。
かぎかっこは主に会話文、引用、強調、作品名などを表すために使われる記号です。
今回は始まりの記号のみで、歌詞を見ていくと終盤に終わりの記号を確認することができます。
かぎかっこの範囲が長いので作品名とは考えにくいです。
引用文だとしても引用元は示されていませんので、その可能性も外して良いでしょう。
考えられるのは、会話文か強調です。
『でっちあげ ~殺人教師と呼ばれた男』の予告映像冒頭に「これは真実を疑う物語」とあります。
人の語りが常に真実と嘘が入り混じるものであることを考えると、このかぎかっこは会話文と考えるのが自然ではないでしょうか。
つまり、『なくしもの』は誰か一人の語りの歌詞になっています。
ただし、この語りに一人称は一切出てきません。
この語り主は自分のことを開示することなく、信頼できない語り手として自らの悩みを吐露していきます。
歌いだしは「「深い霧の中を灯りもつけずに」「ふらふらり ひとりさまよい」です。
なぜ、「深い霧の中」で灯りもつけずに「ひとり」彷徨っているのかは分かりません。
伝わってくるのは、語り主の孤独感と寄る辺のない不安です。
続く歌詞は「無邪気な子どもがそう望んだから」「気まぐれで手折られた花ひとつ」で、少々毛色が変わります。
ただ、「気まぐれで手折られた花ひとつ」が「深い霧の中」を語り主が彷徨っている理由なのかも知れません。
また、手に注目するなら「気まぐれで手折られた花ひとつ」はやや不自然に「手」が出てくる印象を持ちます。
自らの手で「無邪気な子どもがそう望んだから」花を折ったことを強調したい、そんな意思さえ感じられます。
「毟られた翅」

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『ここは遺失物係です』
『何を失くされましたか』
『場所はどこら辺か、心当たりは』
≪なくしもの 歌詞より抜粋≫
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歌いだしで「深い霧の中」と曖昧な場所に「ひとり」でいたはずの語り主は「『ここは遺失物係です』」と声をかけられます。
更に「『何を失くされましたか』」「『場所はどこら辺か 心当たりは』」と畳み掛けるように問いが続きます。
後の歌詞を見ると、問いかけてきた人物はここ以降登場しません。
自然に考えれば「深い霧の中」に遺失物係があるとは思えませんし、わざわざ一人で「手折られた花」を持つ人物に、「何を失くされましたか」と声をかけるとは思えません。
語り主の中でだけ響いた声、妄想の声と考えた方が自然でしょう。
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すっからかんの頭とすっからかんのカバンの
底は抜けていた
どこをどう歩いてきたっけ?
≪なくしもの 歌詞より抜粋≫
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語り主は「遺失物係」からの問いによって、自分が「すっからかん」であることに気づきます。
頭とカバンの「底は抜けていた」と実感します。
そして、その実感の中で「どこをどう歩いてきたっけ?」と過去を思い出そうとします。
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何を失くしたのかさえもわからなくて
けれど大事にしてたことは憶えていて
いつか誰かが拾ってくれるでしょうか
≪なくしもの 歌詞より抜粋≫
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語り主は過去を思い出すことはできませんが、冷静に現状の整理を行います。
まず、「何を失くしたのかさえもわから」ず、「けれど大事にしてたことは憶えてい」ます。
それを「いつか誰かが拾ってくれるでしょうか」と続けますので、語り主が落としたものは形があり、手にとって拾うことができるもののようです。
少なくとも、語り主はそう考えています。
そして、「誰か」です。
ここで遺失物係ではない他人が登場します。
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探し続けていたら
がらんどうに向き合えたら
いつか生きててよかったと思えるでしょうか
≪なくしもの 歌詞より抜粋≫
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この歌詞はやや前向きな印象を持ちます。
語り主は遺失物係に問われても、自分が何を失くしたのかも分かりません。
ただ、分からないからこそ「探し続け」ることができます。
そして、失くしたから、誰かが拾ってくれるかも知れないと希望を持つことができます。
この時点で語り主は探すこと自体を目的としていることが伺えます。
目的を持ち、他者を意識したからこそ「がらんどうに向き合えたら」と底が抜けてしまった「すっからかん」の自分とも向き合おうという発想を持ちます。
その結果「いつか生きててよかったと思えるでしょうか」と自分の最後に思いを馳せます。
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ふわり舞った蝶がふと疎ましくて
徒に毟られた翅ひとつ
≪なくしもの 歌詞より抜粋≫
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前向きな気持ちになったかと思えば、揺り戻しのように悪い衝動に絡め取られます。
「ふわり舞った蝶の翅」を一つ徒(いたずら)に毟ります。
この衝動は歌いだしでは「無邪気な子どもがそう望んだから」花を一つ手で折るというものでした。
最初は子どもを理由にしていましたが、今回は「ふと疎ましくて」と自分の気持ちのみです。
そして、二つとも手によって傷つけられています。
「誰かを踏み潰す雨」

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ひとつも戻らなかったカバンの中
明日も明後日もそうでしょう
大事なものが幾つもあって
ひとつさえ失くしたくなくて
ちゃんと抱えて歩いてきたのに
気づいたら空っぽだ
生きることってなんですか?
≪なくしもの 歌詞より抜粋≫
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前半に出てきた「すっからかんのカバン」の中は「ひとつも」戻ってきません。
「いつか誰かが拾ってくれるでしょうか」と希望を持っていましたが、それは裏切られてしまいます。
結果、語り主は「明日も明後日も」失くした大事なものは戻ってこないのだろうと思います。
続く歌詞は前半と僅かに矛盾する内容となっています。
「大事なものが幾つもあって」「ひとつさえ失くしたくなくて」「ちゃんと抱えて歩いてきたのに」
ここで語り主は自分が大事にしていたものが何か分かっています。少なくとも幾つもあったのです。
そして、それを失いたくないと、抱えて歩いてきました。
冒頭で登場したは遺失物係が登場した後「どこをどう歩いてきたっけ?」ととぼけた物言いでしたが、それも一つのパフォーマンスだったのではないか、と疑いたくなります。
その後、矛盾のない主張「気づいたら空っぽだ」です。
語り主の言葉の中には疑いたくなる矛盾が潜んでいますが、底は抜けて「空っぽ」であることは間違いありません。
そして「生きることってなんですか?」と問うていますので、「生きる」ことについて考えていることも間違いはないでしょう。
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何を失くしたのかさえもわからなくて
けれど大事にしてたことは憶えていて
いつか誰かが拾ってくれるでしょうか
探し続けていたら
がらんどうに向き合えたら
≪なくしもの 歌詞より抜粋≫
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前半の繰り返しですが、「大事なものが幾つもあって」と語り主は失ったものが何か分かっているはずだと疑ってみると、少々印象が変わってきます。
ただ、切実さは伝わってきます。
語り主の語りには矛盾がありますし、疑いたくなる部分もあります。
ただ、「失くした」ものを探していること、「がらんどう」な自分と向き合いたいと思っていることはひしひしと伝わってきます。
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いつか生きててよかったと思えるでしょうか
ただ生きていたっていいやと笑えるでしょうか」
≪なくしもの 歌詞より抜粋≫
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そして、ここで最後のかぎかっこです。
「いつか生きててよかったと思えるでしょうか」は、前半にもあったフレーズです。
追加されているのは「ただ生きていたっていいやと笑えるでしょうか」」です。
最後のフレーズは、もがき抜いた後の本音のような諦めが垣間見えます。
語り主は「生きててよかった」と思いたかったのですが、それも叶わないと分かって願いを下方修正し「ただ生きていたっていいやと笑える」ことを望みます。
語り主はただ自らの「生」を肯定して欲しかったのでしょう。
けれど、その願いに反するように語り主の手は花を折り、蝶の翅を毟ってしまいます。
意思と行動が一貫できないのが、この語り主だったとすれば綾野剛の「歌詞がいい意味で散らばっていて、必至に手繰り寄せている感じがしました」というコメントは的を得ていたことが分かります。
語り主の思考と主張は散らばっていて、この語りの中で他人を求めて「必至に手繰り寄せ」ようと語り主はもがきました。
しかし、それは叶わず、「失くした」ものは戻ってこず、ただ失くすことなく残った「生」だけを肯定する。
それが語り主の語りでした。
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誰かを踏み潰す雨が止みますように。
差しのべられた手をちゃんと取れますように。
失くしものをあなたと見つけられますように。
いつか、いつか、いつか、いつか、
いつか。
≪なくしもの 歌詞より抜粋≫
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かぎかっこが終わっても歌詞は終わりません。
語り主の語り出しは「深い霧の中」でした。
その語りが終わった後には「雨」が降っているようです。
「誰かを踏み潰す雨」がどのようなものか分かりませんが、語りを終えた人物はこの雨が止むことを願います。
ここで注目したいのは「誰かを」と言っている点です。
僕でも私でもなく、「誰か」です。
この誰かはおそらく語りを終えた人物を指すのでしょう。
語りを終えても「誰か」という匿名性をこの人物は手放しません。
その上で、雨が止むことを願うように、「差しのべられた手をちゃんと取れますように。」「失くしものをあなたと見つけられますように。」と願います。
この二つの願いは語りを終えた人物を指していると考えて良いでしょう。
この人物は語りの前から「差しのべられた手」を取ることができませんでした。
語りの中で手を使って花と蝶を傷つけたように、ここでも「手」に裏切られた過去が垣間見えます。
そして、続く歌詞の「失くしものをあなたと見つけられますように。」は、この人物が「失くしたもの」自体を求めているわけではなく、他人である「あなた」と失くしたものを見つけることが分かります。
本当に「失くしたもの」を見つけたいのなら、歌詞はシンプルに「失くしたものを見つけられますように。」で良かったはずですから。
『なくしもの』は最初から一人で、他人を求め続けていた楽曲だったと言うことができます。
けれど、最後の最後まで求めたものは手に入らず、もがくように「いつか、」と繰り返します。
「いつか」あなたが手を差し伸べてくれて、共に失くしたものを見つけられること。
それを求めて、この人物は彷徨うのでしょう。
ただ笑える効能

人生を生きていく上で、大事なものをひとつも失わずにいられることはありません。
大なり小なり失くしてしまい、ある時には空っぽにしてしまうことさえあるでしょう。
それでもキタニタツヤが公式でコメントしている「全てを取り戻せないことを知っていてなお、再び他者を信じ手をとって立ち上がる」しかありません。
他人と関わらず、信じず生きていくには世界は複雑すぎますから。
『なくしもの』の人物は必ずしも他人を信じられたとは言い難いように思います。
ただ、どんなどん底に落ちても「ただ生きていたっていいやと笑える」日が来ると思えることこそが、今日を乗り越えられる理由になるのでしょう。
他人や自分を信じられなくなった時、『なくしもの』を聴いて、自分が失くしていないものに思いを馳せてもみてはいかがでしょうか。