銀座ぎんざの街角まちかどにあるシャンソン喫茶店きっさてん
その名なは銀ぎん巴里ぱりという 私わたしの古巣ふるす
少年しょうねんの頃ころからここで過すごして
雨あめの日ひも 雪ゆきも 嵐あらしの夜よるも
シャンソンを歌うたって生いきてきました
生いきることに疲つかれて死しにたい人ひとがいたり
恋こいに破やぶれて泣ないてる人ひともいました
初はじめてここで会あい 恋こいが芽生めばえて
結むすばれた人ひとも 別わかれた人ひとも
いろんな人ひと達たちに歌うたを捧ささげて
人ひとを慰なぐさめ励はげまし笑わらわせたりしていても
私わたしも人ひとの子こですから いろいろとありました
歓よろこび哀かなしみ 泣ないて嘆なげいて
崖がけを登のぼるように苦くるしんでいたことも
けれども私わたしは歌うたい手てですから
誰だれもいない銀ぎん巴里ぱりで耳みみをすますときに
過すぎ去さった青春せいしゅん時代じだいの いろいろな人ひと達たちの
笑声わらいごえや 泣声なきごえや 呟つぶやいてる声こえが
床ゆかや壁かべや椅子いすから聞きこえてきます
想おもい出での宝石ほうせきが鏤ちりばめてあるのです
やがて私わたしも老おいぼれて歌うたえなくなったら
若わかい小鳥ことりたちの歌うたを聴きくでしょう
愛いとしい銀ぎん巴里ぱりの片隅かたすみの席せきで
それまでは夢中むちゅうで ただ一生懸命いっしょうけんめい
歌うたい続つづけましょう 愛いとしの銀ぎん巴里ぱりで
歌うたい続つづけましょう 愛いとしの銀ぎん巴里ぱりで
銀座ginzaのno街角machikadoにあるniaruシャンソンsyanson喫茶店kissaten
そのsono名naはha銀gin巴里pariというtoiu 私watashiのno古巣furusu
少年syounenのno頃koroからここでkarakokode過sugoしてshite
雨ameのno日hiもmo 雪yukiもmo 嵐arashiのno夜yoruもmo
シャンソンsyansonをwo歌utaってtte生iきてきましたkitekimashita
生iきることにkirukotoni疲tsukaれてrete死shiにたいnitai人hitoがいたりgaitari
恋koiにni破yabuれてrete泣naいてるiteru人hitoもいましたmoimashita
初hajiめてここでmetekokode会aいi 恋koiがga芽生mebaえてete
結musuばれたbareta人hitoもmo 別wakaれたreta人hitoもmo
いろんなironna人hito達tachiにni歌utaをwo捧sasaげてgete
人hitoをwo慰nagusaめme励hageましmashi笑waraわせたりしていてもwasetarishiteitemo
私watashiもmo人hitoのno子koですからdesukara いろいろとありましたiroirotoarimashita
歓yorokoびbi哀kanaしみshimi 泣naいてite嘆nageいてite
崖gakeをwo登noboるようにruyouni苦kuruしんでいたこともshindeitakotomo
けれどもkeredomo私watashiはha歌utaいi手teですからdesukara
誰dareもいないmoinai銀gin巴里pariでde耳mimiをすますときにwosumasutokini
過suぎgi去saったtta青春seisyun時代jidaiのno いろいろなiroirona人hito達tachiのno
笑声waraigoeやya 泣声nakigoeやya 呟tsubuyaいてるiteru声koeがga
床yukaやya壁kabeやya椅子isuからkara聞kiこえてきますkoetekimasu
想omoいi出deのno宝石housekiがga鏤chiribaめてあるのですmetearunodesu
やがてyagate私watashiもmo老oいぼれてiborete歌utaえなくなったらenakunattara
若wakaいi小鳥kotoriたちのtachino歌utaをwo聴kiくでしょうkudesyou
愛itoしいshii銀gin巴里pariのno片隅katasumiのno席sekiでde
それまではsoremadeha夢中muchuuでde ただtada一生懸命issyoukenmei
歌utaいi続tsuduけましょうkemasyou 愛itoしのshino銀gin巴里pariでde
歌utaいi続tsuduけましょうkemasyou 愛itoしのshino銀gin巴里pariでde